F・Y
事業企画センター 宣伝部 グローバル宣伝課
2025年入社
2025年、新卒入社と同時にTSUYOSAのグローバル宣伝担当に従事。本プロジェクトではTSUYOSAの認知度が拠点ごとに異なる中で、グローバルに統一されたプロモーションを行うために奔走。SNSアカウントの5日間連続ジャックなどの斬新な宣伝活動を担当した。
Cross Talk VOL.1
2024年2月、「TSUYOSA」シリーズ初のコラボモデルが世界同時発売された。“時計カスタム・アート”を手がけるフランスのseconde/seconde/ との共創によるこのコラボモデルは、ピクセル化された刀(KATANA)の分針に代表されるように、日本を彷彿させる世界観が凝縮されており、その物語性と性能が高く評価され、瞬く間に完売するヒット商品となった。この特徴的なコラボモデルはどのように誕生したのか。3人のキーマンに話を聞いた。
このプロジェクトの登場人物
F・Y
事業企画センター 宣伝部 グローバル宣伝課
2025年入社
2025年、新卒入社と同時にTSUYOSAのグローバル宣伝担当に従事。本プロジェクトではTSUYOSAの認知度が拠点ごとに異なる中で、グローバルに統一されたプロモーションを行うために奔走。SNSアカウントの5日間連続ジャックなどの斬新な宣伝活動を担当した。
K・Y
商品企画センター 商品企画部 第二企画課
2019年入社
商品企画部で欧州市場を担当。2024年には部門横断型ユニットチームのユニットリーダーに就任。商品の開発から製造、販売までを見据えたブランド戦略を推進している。2021年に欧州でのラグスポブームに着目し、TSUYOSAの欧州市場投入を提言した。
K・H
事業企画センター事業企画部
2005年入社
事業企画部副部長としてグローバルを見据えた統合的な戦略立案を担当。TSUYOSAシリーズでは、2020年の香港駐在時代にジェネラルマネージャーとして企画段階から参加。コラボモデルではアーティストとの交渉から技術部門との調整まで主導的な役割を果たした。
01
TSUYOSAは2020年、「中国で売れる商品」をテーマに開発された。そのデザインルーツは、1990年代後半のシチズン機械式モデルだった。売れ行きに火がついたのは2021年。香港で主催したイベントで有名な時計コレクターが、TSUYOSAの黄色モデルを「FUNな時計」と評価。数日後には香港中の小売店から黄色モデルが姿を消した。このヒットを受け2022年から欧州、米国、日本でも発売が開始された。
02
ラグスポ(Sports Luxury)という明確なグローバルトレンドの中で欧米に投入されたTSUYOSAは「手が届くが特別感のある一本」として人気を博した。SNSでは「#TSUYOSA」というハッシュタグが自然発生的に拡散。2023年に「TSUYOSA」は公式名称になり、年間実績ナンバー1モデルにまで成長。この世界的ブームを一過性に終わらせないために次の一手としてシチズンが選択したのがseconde/seconde/とのコラボだった。
03
2024年、seconde/seconde/とのコラボが決定。TSUYOSAがもともと持つ「価格以上に完成度の高いデザインと品質」という土台に、seconde/seconde/ の遊び心とストーリー性を掛け合わせたコラボモデルの開発は、組織を横断し、また世界各拠点を巻き込みながら、「3,600本限定全世界同時発売」「SNSアカウントの5日間連続ジャック」など、前例のない挑戦を次々と生み出していく。そして2026年2月20日、世界同時発売されたコラボモデルは、全世界で大きな話題を呼び、瞬く間に完売することになる。
K・H TSUYOSAの企画は、2020年、私が香港に駐在していた頃に始まりました。当時のテーマは「中国市場で売れる商品」。ブランド各社が過去の名作をリバイバルする流れの中で、私たちも90年代にアジアで爆発的に支持を得たモデルをヒントに企画を進めました。発売当初はあまり注目されなかったのですが、香港で主催したイベントで著名な時計コレクターが、黄色ダイアルのTSUYOSAを「FUNな時計だ」と絶賛。これを受けて数日後には香港中の小売店から黄色モデルが突然姿を消しました。
K・Y 私が担当していた欧州市場への投入は2022年です。当時は高級ブランド中心だったラグスポのトレンドが、マス層へと広がり始めていた頃で、「安心感があり、実用的でかつ手頃な価格帯のラグスポ時計」が求められる状況の中で、TSUYOSAは非常に可能性のある商材だと感じ、欧州拠点へ提案を行いました。結果としてTSUYOSAは欧州市場で高い評価を受け、想像以上のスピードでヒットモデルへと成長しました。
K・H SNS上ではなぜか「#TSUYOSA」というハッシュタグが自然発生的に拡散して、同時期に発売された米国でも「TSUYOSA」が検索トップになりました。ここへきてTSUYOSAは世界的なヒット商品に躍り出ました。
K・Y 「TSUYOSA」が公式名称になったのは2023年ですね。考えてみると「強さ」というベタな言葉を商品名にしようという発想は日本では生まれません。愛称がグローバル市場から自然発生的に生まれていること自体「TSUYOSA」の特色だと思います。
K・Y こうした世界的な成功を目の当たりにする一方で、社内では「このブームを一過性で終わらせてはいけない」「次の一手が必要だ」という課題意識も強くなっていきました。そこで次の起爆剤として検討し始めたのが、外部クリエーターとのコラボレーションです。当時、前任のY・Tさんを含め、次の一手をチームで議論する中で『これならいける』と確信を深めていきました。
K・H 最初にデザインのスケッチを見たとき、シチズンでは決して生まれないデザインに、逆に可能性を感じました。技術部門に相談すると「面白そうだ。やってみたいね」と前向きな返答をもらい、短期間で試作品をつくって2024年の秋にアーティストと面会しました。彼の哲学は刺激的でありながら温かく、「面白い」と素直に頷けるものでした。こちらからは製品説明ではなく、「BETTER STARTS NOW」という考え方と、その背景にあるシチズンの姿勢を伝えました。結果、想いは響き合い、コラボは実現します。
K・Y その後は、社内外への理解醸成を進めながら、世界3,600本限定・全世界同時発売、SNSアカウントの5日間連続ジャックなど、前例のない挑戦を次々と決断していきました。中でも重要なのがグローバル広報戦略で、新卒でありながらその担当に抜擢されたF・Yさんの苦労は察して余りあります。
F・Y 大変でした(泣)。拠点ごとにTSUYOSAの認知度や熱量が異なり、必要な宣伝素材のイメージや販売方法が異なる中で、グローバルで統一されたプロモーションを行うように調整しなくてはいけません。本コラボ時は早い段階でSNS発信の日程の共有を行い、拠点の意見も聞きながらも投稿内容は本部が主導で決定したことが成功の要因だと思います。
K・H アーティストとのコラボという点でも難しさはあったでしょう?
F・Y そうですね。ドイツでの展示会では拠点やアーティストから商品を展示する什器や照明の方法についても強いダメ出しをもらいました。コラボ商品はアートでありフォントの一つ一つにまで細かい指定があります。そうした思想を世界のすべての拠点に浸透させていかなければいけませんでした。ただ、こうした経験を若手のうちからできたことは大きな財産になったと感謝しています。
K・Y 拠点ごとにTSUYOSAへの注力度やseconde/seconde/の認知度が異なる中で、全世界同時発売という前提のもと、CITIZENとして、またTSUYOSAとして一貫した魅力をどう表現するかが本コラボの最大の問題点でしたね。加えて、情報解禁や発売タイミング、各市場への数量配分の調整にも苦労しました。
F・Y 商品企画、宣伝、海外拠点が縦串ではなく、それぞれが同時にコミュニケーションを取り合いながら横串で連携しながら進めていくことの重要さを感じました。ただ、海外や本社の関連部門の全員が本コラボにワクワクしながら仕事をしていたように見えました。斬新なデザインで、新たな試みが多かった中、各社員が期待感を持ちながらプロジェクトを進めていた点がとても印象的でした。
K・Y 本コラボの特色は市場から生まれたムーブメントをグローバルで通用する「TSUYOSA」ブランドとして定着させるために、社内デザイナーや技術・製造部門、世界各拠点を横断的に巻き込みながら進めていったところにあります。斬新なデザインでありつつも、“Being smaller has never stopped MINUTES from slicing HOURS into pieces ”というメッセージに集約された物語性などを、すべての関係者が共有し、一貫性を持って発信できたことで消費者の興味関心を惹きつけ、ブランドとしての懐の深さや表現の幅を示すことができました。
K・H 振り返ると、このコラボはまさに「BETTER STARTS NOW」――やったことのないことに踏み出したからこそ生まれた流れだったと感じています。安全で確実な王道と細く険しい山道を前にして、通常は王道を選ぶのだけれど、時には「面白そうだから」と山道を選ぶ。見通しは悪く障壁は多いけどまだ見ぬ景色を求めて突き進む。それがシチズンの企業風土だと私は思っています。
F・Y 企業風土、文化という点では「若手にチャンスを与えてくれる」という点も強調したいと思います。本コラボにて、企画や海外拠点以外にも、seconde/seconde/を含む多くの関係者や部門と連携・調整して進められたことは入社1年目として成長につながる大きな経験でした。
※業務内容・所属部署は取材当時のものです。
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