CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2024年受賞

渡辺 和代さん

フエ中央病院は1894 年に設立された歴史ある国立病院で、病院長の発案で壁はピンクに塗られており、「いつも明るい気持ちになれます」と渡辺さんは笑顔を見せる

医療従事者の意識を変えるため日本の治療現場へ

2005年9月、フエ中央病院でACCLの活動をスタートしました。フエのあるベトナム中部は農業が中心で低所得層が多く、子どもが小児がんになっても経済的理由で治療をあきらめてしまうケースも少なくありませんでした。加えて、一部医療関係者の側にも「小児がんは治らない」といった誤った認識があったことや、医療環境が整っていないなど、適切な治療が受けられない要因が複合的に存在していました。

そこで渡辺さんは、病院の医療従事者に小児がんは治る病気であることを実際に見てもらうのが一番と考え、小児科部長だった女性医師を連れて日本へ。東京や静岡で小児がんの治療現場を見てもらうとともに、小児がんを経験して現在は元気に生活している人たちにも会って話を聞いてもらいました。

百聞は一見に如かず。小児科部長の表情からは、小児がんが治ることの実感や、それを克服して元気に生きる人への感動がひしひしと伝わってきたのです。渡辺さんはその様子を見ながら「この先生ならきっとフエ中央病院の小児がん治療を変えてくれる」と確信を持ったそうです。

(左、中)活動当初の病棟は、十分な治療環境ではなく、渡辺さんは改善に取り組んだ
(右)渡辺さんは年に数回ベトナムを訪れ、その際は病院に寝泊まりする

エキスパートからの指導で治療環境は激変

ベトナムに帰国すると、小児科部長は直ちに「家族の会」を立ち上げ、自分たち医療従事者と子どもたちの親が一緒になって小児がんに取り組む決意を目に見える形で示しました。渡辺さんも医療面でそれを支えるため、折よくシンガポールで先進医療の学会が開催されることを知りフエ中央病院の医師と共に参加。世界的に著名なアメリカの医師に自分がベトナムでやろうとしていることを伝えると、「小児がん治療の発展や患者さん家族のケアのためには、あなたのようなコーディネーターが必要なんです」との言葉をかけてもらい、その言葉が今も活動の原動力になっているそうです。

この医師のアドバイスにより、小児がんの中でも患者数が一番多い急性リンパ性白血病から取り組みをスタートしました。渡辺さんは、フエの医療従事者が世界各国のエキスパートから指導を受けられるよう橋渡しに奔走し、さらに小児がん治療への理解を深める研修のコーディネートや、医薬品の供給、院内の食事提供や栄養管理、医療機器の整備、ワークショップへの参加などにも尽力。日本からの寄付で移植には不可欠な無菌室をつくることもでき、治療のレベルもスタッフのモチベーションも劇的に高まっていったのです。

小児がんの子どもたちを救おうという支援の輪は、国境を越えいま大きく広がりを見せている

患者や家族に寄り添った支援で笑顔あふれる病棟に

一方、社会福祉面では子どもたちとその家族の支援に注力しました。治療費の補助といった経済的サポートに加え、小児がんについて正しく理解してもらうため、家族の会を通して副作用や感染症リスクについて啓発も行っています。場合によっては患者のことをより知るために家を訪問して悩みなどを聴くこともあり、治療費を工面できないといった金銭的なことをはじめ、それぞれの事情を認識しながら励まし寄り添っています。

子どもたちの療養生活には楽しい時間を設けることも重要なことから、誕生会をはじめ1年を通して楽しいイベントも実施。現地の医学生ボランティアも、毎週来て子どもたちと遊んだり勉強を教えてくれており、「お兄さんやお姉さんのように親身になって世話をし、家族の話も熱心に聞いてくれています」と渡辺さんは笑顔を見せます。また、残念ながら命を落とした子どもたちの遺族のためグリーフケア※にも取り組み、数年に一度慰霊祭を行うなどきめ細かな支援活動を行っています。


※グリーフケア:大切な人を失った際の悲しみや苦しみに寄り添い、サポートする支援。

(左)小児がん病棟には医学生のボランティアも多く訪れ、ビーズブレスレットづくりなどで一緒に楽しい時間を過ごし子どもたちを元気づけている
(右)願いがかなわず命を落とした子どもたちの遺族のため、渡辺さんはグリーフケアにも取り組み数年に一度慰霊祭を行っている

一人でも多くの子どもたちが治療を受けられるように

支援した子どもたちが病を克服して成長し会いに来てくれるのは、渡辺さんにとって至福の時だ

こうした地道な支援活動により、当初は1割程度だった急性リンパ性白血病の「5年生存率」は、現在約7割にまで向上。渡辺さんは「フエに来たころ小さかった子どもたちが、病を克服して成長し会いに来てくれたときは至福の時」と話します。

現地では、いつしか子どもたちや家族、医療スタッフから「日本のお母さん」と呼ばれるようになった渡辺さん。2024年にはフエの名誉市民称号を授与されました。活動の場はいま、カンボジアやラオスなどへと広がっていますが、「いまもさまざまな理由で病院にたどり着けていない小児がんの子どもたちがたくさんいます。一人でも多く治療を受けられるようにすることが大事なんです」と、さらなる活動の広がりを見据えています。

(左上)共に力を合わせて治療に取り組んでる小児がん病棟のスタッフと
(左下)長年の活動により2024年にはフエの名誉市民称号を授与された
(右)病気を克服して成長した子どもたちからの贈り物は世界一の宝物
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