CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2024年受賞

渡辺 和代さん

小児がんを克服した先に輝く子どもたちの夢と笑顔のために

小児がんを克服した先に輝く
子どもたちの夢と笑顔のために

映画との出会いがその後の生き方の原点に

「小児がんは治らないと言われたベトナムで、病を克服した子どもたちがかつて自分がいた小児病棟を訪ね、小さな子どもたちを勇気づけている姿には心から感動します」

そう話す渡辺和代さんは、20年にわたりベトナムの小児がんの子どもたちを支援し、現在も現地を訪れては病院に泊まり込み、子どもたちと一緒に過ごして元気づけています。

渡辺さんとベトナムとの出会いは、父親の海外赴任で中学2年から高校まで過ごしたアメリカで見た1本の映画でした。それは、ベトナム戦争の孤児を米兵が助けるという内容で、感動した渡辺さんは出演者たちの会話を理解したいと、ケーブルテレビの再放送を録画して何度も観たそうです。後日それが実話だと知り書店で原作本を見つけ、英語の本でしたが初めて最後まで読み切りました。「本当にこんなことをする人がいるんだ!」と脳裏に焼き付き、その米兵の行動が、英語の苦手な自分に手を差し伸べる友人たちの姿と重なり、「私も誰かのために何かしたい」という想いが募っていったと話します。

高校卒業後、帰国し日本の大学で経営学を学び外資系の金融機関に就職。大学での学びと英語力を活かし、パソコンの前で金融市場の動きに24時間張り付き『売った、買った』の世界に身を置きましたが、「やはり対面で人と接する仕事がしたい」と4年余りで退職。改めて「人と接する仕事」について考えたとき、鮮やかに蘇ったのがあの映画の感動でした。

(左)中学・高校を過ごしたアメリカでは、さまざまな祖国を持つ友人が英語の苦手だった渡辺さん(右端)に手を差し伸べてくれた
(右)子どもたちを支援する原点となった映画の原作本「DON'T CRY, IT'S ONLY THUNDER」

新聞で子どもたちの支援活動を知りベトナムへ

ベトナムでの活動のきっかけとなったストリートチルドレンの救済

「困っている子どもたちがいたら、それを助けることに自分の力を活かしたい」。そんな想いを抱いていた渡辺さんに転機が訪れたのは、将来への想いを話したことがある当時の職場の上司から渡された小さな新聞記事がきっかけでした。それは、ベトナム・フエ市でストリートチルドレンの救済活動をする日本人の紹介記事で、まさに戦争孤児を助ける米兵の姿とオーバーラップし、すぐに連絡を取ったのです。

その日本人は「ベトナムの『子どもの家』を支える会」という団体を立ちあげ活動を行っており、折よく帰国するタイミングだったことから面会が実現。活動に参加したい想いを伝えると、一緒にストリートチルドレンの支援をしてはどうかと言ってくれ、渡辺さんはすぐに準備を整えベトナムへと飛び立ったのです。

活動の場となったベトナム中部は低所得層が多く支援が必要な子どもが多かった

アジアで小児がん治療を支援するため社会福祉士に

渡辺さんが降り立ったのはベトナム中部の都市フエ。そこで目にしたのは、ベトナム戦争の孤児や、貧困のため路上生活、船上生活をするたくさんの痩せた子どもたちがいる現実でした。ストリートチルドレンの救済がかけがえのない活動であることを実感した渡辺さんは、早速子どもたちを支援するボランティアに取り組み、活動を通して病院とのつながりもできました。

その後、父親が病気で倒れたため帰国し、家族と共に看病をしながら医療施設の小児病棟でボランティアに参加。そこで子どもたちが小児がんと闘っている現場に出会い、小児がんの親の会を飛び込みで訪ね参加を願い出たのです。

こうして小児がんの子どもたちを支援することになり、治療の現状や医療体制を学んだ渡辺さんは、アジアをフィールドに活動するためNPO法人の立ち上げを決意。医療に関する資格を持たない自分が活動するため何が必要かを考え、医師や看護師と共に子どもたちの支援を担うことができる社会福祉士の資格を得るため大学院に入学しました。働きながら大学院で学び、社会福祉士の資格を取得した渡辺さんは、NPO法人「アジア・チャイルドケア・リーグ(ACCL)」を設立、フエの病院で活動を開始するため2005年9月にベトナムのフエ市へ向かいました。

アジアをフィールドに活動するため、渡辺さんは大学院で学び社会福祉士の資格を取得し、NPO法人「アジア・チャイルドケア・リーグ」を立ち上げた
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