
迎えた最初の授業の日、院生を前にした飯田さんは、彼らにかつての自分と重なるものを感じたという。小学生の時に両親が離婚し、貧しさや親の愛情を感じられない寂しさから次第に心が荒れ、すさんだ日々を過ごした飯田さんには、少年たちがそれぞれ背負っている経験の重さが伝わってきたのだ。ただ、そうしたなかでも自分が道を踏み外さなかったのは、絵が好きで中学時代は美術教師になりたいという夢を持っていたからだ。振り返れば、大好きな絵があったことで、諦めずにこれまでの人生を切り開いてこられたことが、改めて思い起こされた。
飯田さんは、そのことを少年たちに伝えたいと思った。月に2回ある授業では、絵の具の使い方や絵を描く方法は教えたが、何を描くかは彼らの自由で、上手い下手は問わない。伝えたかったのは、「何か一つでも夢中になれることがあれば、人生を諦めないようになる。それは絵でもいいし、文章でも、音楽でも、何でもいい。諦めないで続けていれば、いつかきっと道は開ける」ということだった。
そんな想いで一人一人の生徒と向かい合い、私語が禁止された教室で飯田さんの言葉に少年たちが頷いたり、目や表情で分かり合えたりする瞬間は、かけがえのない喜びとなった。月に2回の授業は飯田さん自身の楽しみとなり、「明け方近い3時、4時まで仕事をした日でも、授業に行くのはまったく苦になりませんでした」と言うほど。こうして、1年のつもりで始めた絵の指導は飯田さんのライフワークのようになっていった。