CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2020年度受賞

山本 宏昭さん

活動に感銘した全国の人たちや企業から、支援品や寄付、手紙などが数多く寄せられた

半年で140本以上運行し、安心と感動を届ける

無料通勤バスを運行する銀河鉄道に、手紙や寄付、支援品を寄せてくれた人のなかには、「燃料代の足しに」と寄付をくれた関西の路線バス運転士や、お米や野菜を持って激励に来てくれた神奈川県の農家の方もいた。山本さんは、「ご自身もコロナ禍で大変なときだろうに、日本にはまだまだ人情が残っている。皆さんの心遣いにどれだけ励まされたことか」と振り返る。

山本さんたちが全国に届けた感動がこだまのように返ってきて、お互いに頑張ろうという気持ちを分かち合えたのだ。

3月にスタートし、猛暑の夏を乗り切り、半年にわたって運行を続けた銀河鉄道の無料通勤バスは、2020年9月11日に最終日を迎えた。「ようやく世の中が動き出し、小学校の社会科見学などで観光バスの需要が戻ってきたことや、通勤電車でクラスターが発生したという報道もなく、利用者数も落ち着いてきたことから、一定の役割を果たせたと判断しました」(山本さん)

その間には最愛の娘さんを病気で亡くすという大きな悲しみがありながら、地元への恩返しの気持ちも込めた無料通勤バスの運行本数は半年間で140本を超え、延べ2400人を東村山から都心まで送り届けたのである。

活動は9月で区切りをつけた

幼いころからの夢を実現し地元の人々に寄り添う

生家の前にバス停があった山本さんは、幼いころから毎日バスを見て育ち、いつしかバスの運転士が将来の夢になった。小中高とバス好きが高じていった山本さんは、21歳で大型二種免許を取得。大学時代はアルバイトでバスの洗車係や車掌、陸送係などに打ち込み、就職もバスの運転士を目指した。ところが当時は運転士の大卒採用を行っておらず、やむなく断念したのである。

卒業後は家業の酒屋を手伝いながらコツコツと貯金し、1988年に念願の中古バスを購入。寝食を忘れてバスの手入れに明け暮れるうち、「どこにも採用されないのなら自分でバス会社を始めよう」と決断、1999年に「銀河鉄道株式会社」を設立した。設立年にちなんで人気アニメの「銀河鉄道999」から社名を命名。地域密着型の会社として東村山市のコミュニティバス運行事業者にも選ばれ、2006年には一般路線バス事業許可を取得して2008年から運行を開始。行政からの補助金を受けないという信念のもと、地元の人たちの悲願だった路線バスを自らもハンドルを握って走らせ、日々の暮らしに寄り添い続けている。

(左上下)幼いころから大のバス好きで、大学卒業後も家業の酒屋を手伝いながら運転士を夢見ていた
(右)コツコツと貯金して手に入れた中古のバス。ここから夢の実現へと加速していった

父の教えを胸にバスを通した貢献で、さらに魅力ある街へ

地元の人々の暮らしを支え続ける銀河鉄道の路線バス。現在、2路線が運行中だ

山本さんの亡き父親は、“忠臣蔵”で有名な播州赤穂を出て東村山に居を構え、地元の発展に尽くした。その父親がいつも「地域のため、人のために何ができるかを考え、行動せよ」と言っていた。それが山本さんの原動力になっている。

東日本大震災のときは、「次代を担う学生に被災地でボランティア活動を経験してほしい」と無料の送迎を実施。他社が甚大な被害を受けた現地へのバスの運行を拒むなか、5月から8月まで40回にわたり約2000人の学生を運び、自らもテント生活をしながら支援活動に汗を流した。

大好きなバスで社会的な活動も行いながら路線バスの運行を続け、これからも地元に恩返しがしたいという山本さん。将来的には東村山市と羽田空港を結ぶシャトルバスの運行を構想しており、「インフラが整備されれば、グローバルに活躍する若い人が地元に集まるだろうし、海外からのお客さまもお迎えして街も発展・進化します」と熱く語る。バスを通して社会への貢献を目指す山本さんの目は、世界とつながる地域の未来を見つめている。

専務を務める奥様の優子さんも、毎朝無料通勤バスの運行をサポートした
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