
山本さんの亡き父親は、“忠臣蔵”で有名な播州赤穂を出て東村山に居を構え、地元の発展に尽くした。その父親がいつも「地域のため、人のために何ができるかを考え、行動せよ」と言っていた。それが山本さんの原動力になっている。
東日本大震災のときは、「次代を担う学生に被災地でボランティア活動を経験してほしい」と無料の送迎を実施。他社が甚大な被害を受けた現地へのバスの運行を拒むなか、5月から8月まで40回にわたり約2000人の学生を運び、自らもテント生活をしながら支援活動に汗を流した。
大好きなバスで社会的な活動も行いながら路線バスの運行を続け、これからも地元に恩返しがしたいという山本さん。将来的には東村山市と羽田空港を結ぶシャトルバスの運行を構想しており、「インフラが整備されれば、グローバルに活躍する若い人が地元に集まるだろうし、海外からのお客さまもお迎えして街も発展・進化します」と熱く語る。バスを通して社会への貢献を目指す山本さんの目は、世界とつながる地域の未来を見つめている。