CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2014年度受賞

原田 燎太郎さん

眼の見えないアジェさんからも多くのことを学ぶ

「きっと、中国の学生でワークキャンプができるようになる!」

快復村でのワークキャンプを中国の学生で組織できるようにしたいと考えた原田さんが、地元の大学に行き参加者を募ると、話を聞いた学生のうちマークさん一人だけが残ってくれた。

しかし、村に来た彼は、偏見からか決して元患者に触れようとしない。ところがワークキャンプ最終日、原田さんと交流があった年老いた女性が最期を迎えようとしたとき、手を握り涙を流す原田さんを見て、彼は病気で指が短くなった彼女の手をしっかりと握りしめたのだ。

それを見て原田さんは思った。「きっと、中国の学生でワークキャンプができるようになる!」

その後、帰国した原田さんにマークさんから届いた手紙には、「キャンプ最終日のことは忘れない。彼女の手を君が握ったとき、君の涙を見たとき、人を愛することを教えてもらった。“僕たちのワークキャンプ”に参加する人をどんどん増やそう」と思いがつづられていた。

こうして原田さんは2003年、大学卒業と同時に海を越えてリンホウ村に戻り、ワークキャンプをしながら住み始めたのである。

原田さんの呼びかけに初めて応じたマークさん(左端)をきっかけに、多くの中国人学生が参加するように

NGO「JIA -家-」を設立。自分たちの活動だと思い始めた中国の学生たち

大学を卒業して中国に渡った原田さんがリンホウ村で活動し、村人に支えられながら中国の学生に参加を募るうちに、次第にワークキャンプに参加する中国の学生が増え始めた。

「僕も現地の学生も、ものすごい猪突“盲”進なメンバーがどんどん集まっている段階でした。あの村に水道がないというと数10時間かけて行き、地元の学生も巻き込んでワークキャンプをし、いつの間にか活動は3省にまたがっていました」。当時の様子を原田さんはそう振り返る。

活動が進展するなかで、地元の病院が快復者を診てくれたり、村を訪れる家族が出てくるようにもなった。こうしたなか、原田さんたちは情報や人材、資金を管理しなければ質の高い活動が維持できないと考え、2004年、広州市にNGO「JIA -家-」を設立した。

中国の学生が急速に増えた理由について原田さんは、「村人が学生たちをとても喜んで迎えてくれますし、なにより、彼ら自身がこの活動は自分たちの活動なんだと思い始めたことが大きい」と話す。

ハンセン病や快復者を「社会問題」ではなく「社会の財産」に

快復村を訪れた中学生が元患者との別れに涙する場面も多い

20~25名の学生ボランティアが快復村で活動するワークキャンプは、年間100回程度行われ、これまで中国華南5省の61カ所で延べ1万3千人以上が参加している。初めは快復者を支援しようと参加した学生も、次第に“私とあなた”という関係になり、村人が生きるなかで磨いてきた強さを見て、尊敬の念を抱くようになるという。

原田さんも、手足に重い後遺症がありながら生活のすべてができる快復者が言った、「何でも、何とかなるんだよ」という言葉が忘れられないと話す。

「1年のつもりが、あっという間に10年経ちました」という原田さん。ワークキャンプではハンセン病や快復者に対する差別、偏見を変えることも大切な目的で、第一段階として快復村の周辺にある小学校でワークキャンプを始めている。

今後はハンセン病に関する記録を残すことや、活動をアジアの周辺国に広げることにも注力していきたいという原田さん。ハンセン病や快復者が「社会問題」としてではなく、「社会の財産」として認められるよう取り組んでいきたいと熱く語る。

キャンパーとして活動している中国の熱い学生たち
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