
原田燎太郎さんが、初めて中国のハンセン病快復村でワークキャンプに参加したのは2002年、大学3年生のとき。それは、新聞記者を目指していた原田さんにとって、「自分のなかに人を差別する心はないか」それを確かめるための参加でもあった。
まだ有効な治療法がなく体に変形を起こすこともあったハンセン病患者に対し、中国政府は1957年に隔離政策を打ち出し、人里離れた「隔離村」800カ所に集めた。1986年に隔離政策が撤廃された後も、元患者の多くは差別を恐れたり帰る場所がなかったりして村にとどまり、今も約600カ所で約2万人が過酷な生活を強いられている。
帰国後、新聞記者を目指して就職活動を行うがなかなかうまくいかず、自分の進むべき道に思い悩んでいた原田さんは、友人の誘いもあって再びワークキャンプに参加するため中国を訪れた。そこは、広東省の広州市からクルマで7時間かかり、隔離を象徴するような長いトンネルを抜けた先にあるリンホウ(嶺后)村。原田さんはこの村で、自分の進むべき道を決める大きなきっかけとなった、蘇振権(ソウチンクワン)さんと出会った。