CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2012年度受賞

渡辺 玉枝さん

マッターホルン山頂で笑顔を見せる渡辺さん(左)

北米最高峰「マッキンリー」の南壁を女性で初制覇

職場の転属により、少しまとまった休暇が取れるようになり、渡辺さんは海外の山にも挑戦できるようになった。

77年には、アラスカにある6194mの北米大陸最高峰マッキンリーに挑戦。当初は、隊の全員が男性だったので、ベースキャンプで留守番をするテントキーパーだと思って参加したというが、持ち前のチャレンジ精神で、途中宙吊りで登る箇所もある極めて過酷な南壁のルートから、女性として初登頂を達成。その後、資金と休暇をためては、モンブラン、マッターホルン、キリマンジャロ、ヒマラヤなど世界有数の山に挑戦し、すべて登頂してきた。

海外遠征には多額の費用がかかるが、渡辺さんはプロの登山家ではないので、スポンサーもなく、ほとんどが自費での登頂。普段から無駄遣いはせず、登山も最低限の費用でと、装備の一部は仲間から借りることもある。そして、一番心がけたのが、仕事との両立。長期休暇を取ることになるため、普段から一生懸命仕事に取り組み、自分がいない間の仕事の段取りを万全に組んで、他の職員に迷惑がかからないよう細心の注意を払った。

北米最高峰「マッキンリー」を女性で初制覇

自然体で成し遂げた世界記録の快挙

渡辺さんは59歳で公務員を退職し、新たな生活をスタートさせた。

2002年、63歳のとき、親交のある日本有数の山岳カメラマン、村口徳行さんからエベレスト登頂に誘われる。

参加を決めた理由は、いつも自然体の渡辺さんらしく、「そう簡単に登れる山じゃないだろうけれど、エベレスト街道のトレッキングが楽しめるなら」というものだった。それが、登れるところまで行ってみようと、徐々に体を高度に慣らしながら7300mまで登り、このまま行けるかもしれないとサウスコルと呼ばれる7980m地点にテントを設営。そこから一気にアタックし快挙を成し遂げた。

「頂上には誰もいなくて、40分くらい村口さんと独占し、写真を撮ったり酸素マスクを外したりして楽しみました」。これが、女性のエベレスト登頂世界最高齢記録の瞬間だった。もちろん渡辺さんは、まったく記録を意識していなかった。

2003年、43年ぶりに故郷の富士河口湖町に戻った渡辺さんは、かつてのように畑仕事をしながら、また地道な生活を始めた。

大手術とリハビリを乗り越え再び世界最高峰へ

2005年の夏、畑仕事の道具を持って歩いていた渡辺さんは突然めまいを起こし、水の干上がった川底に転げ落ちて腰椎に重傷を負う。約40日の入院を経て通院を続けたが、状況は芳しくなく、翌年の1月に手術を行うことになる。

東京の病院での、7時間半に及ぶ手術と辛いリハビリを支えたのは、また山登りができるかと聞いた渡辺さんに医師が言った「大丈夫」という言葉だった。その言葉の通り、渡辺さんは丸2年にわたるリハビリを経て、2008年にモンゴルの最高峰、フィティン山に登頂し、山への復帰を果たす。

そして2012年、渡辺さんは万全の準備を整えてエベレストに挑み、5月19日午前7時、再び世界最高峰エベレストの山頂に立った。

「記録は考えたことがありません。山登りを続けてきた最大の理由は、やはり感動の大きさです。素晴らしい景色もそうですが、たとえ天候が悪いときでも、成し遂げたあとには、自然は努力以上のものを見せてくれるんです」と語る渡辺さんにとっては、世界記録も普段の生活の延長線上にあるのだ。

再びエベレスト山頂に立った渡辺さん(左)

富士山の魅力と環境を守る大切さを皆に伝えたい

富士山ガイドをしながら環境保全にも取り組む

エベレスト登頂の世界記録を樹立した後も、渡辺さんの生活は変わらない。

大好きな畑仕事で大根やニンジンを育て、自分で食べきれない分は近所に配ったり、近くの実家に持っていったりする。また、富士河口湖町のネイチャーガイドや富士登山ガイドをして、トレーニング代わりに地元の山歩きをして自然と親しんでいる。

そんな渡辺さんのもとに、うれしいニュースが飛び込んできた。生まれたときから見続けてきた富士山が、ユネスコの世界文化遺産に登録されたのだ。

「なかでも、富士山の溶岩の上にできた青木ヶ原の樹海の素晴らしさを、一人でも多くの方に知ってもらいたいですね。風穴や氷穴など、人の手が入っているところもありますが、ほかは全部手つかずの自然ですから、環境を守る大切さを知ってもらえます」。

毎日富士山が見えるところに住んで贅沢だと笑顔を見せながら、このかけがえのない自然をしっかり守っていかなければと、渡辺さんは決意を新たにしている。

Page Top
Page Top