CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2011年度受賞

笹原 留似子さん

大切な人の一番いい笑顔をずっと心に残してほしい

大切な人の一番いい笑顔を
ずっと心に残してほしい

家族を失った人々の新たな一歩のきっかけに

2011年3月11日、午後2時46分、東日本大震災発生。想像を絶する巨大津波が岩手・宮城・福島の沿岸部を中心に押し寄せ、死者行方不明者合わせて約二万人にも及ぶ未曾有の被害をもたらした。家族を失った人たちの悲しみは言葉に尽くしがたい。しかも、遺体の多くは津波により大きな損傷を受け、遺族の心にさらに深い傷を残した。

それでも生きていかなければならない遺族のために何ができるか。岩手県北上市の復元納棺師、笹原留似子さんは、復元ボランティアという遺族への支援を黙々と始めた。それは、遺体を生前の穏やかな姿に戻し、故人の一番いい笑顔を心のなかに残して生きていってほしいという、自分にできる最大限の支援だと考えたからだ。

損傷を受け、発見までに時間の経過した遺体は復元に4~5時間を要することもあった。しかし、そうした献身により多くの家族が穏やかな気持ちで別れの時を迎えることができた。

津波による壊滅的な被害が残る岩手県・大槌町で、笹原さんは今も被災者の支援活動を続けている

末期医療の現場から納棺師の世界へ

笹原さんの行う遺体の復元は、長年培った技術を使い、損傷した部分を一つひとつ元に戻していく。きれいな状態を「つくる」のではなく、その人本来の姿に「戻す」のである。

納棺師になる前、笹原さんは北海道の病院に勤め、末期医療の現場も目にしてきた。そうした医療の世界では、亡くなった方が苦しそうな表情をしていても、そのまま見送ることが少なくなかった。亡くなった方の最後の姿を、本人にも遺族にもいい思い出にしたいと、笹原さんは納棺師の世界に入ったのである。

納棺を行うなかで、笹原さんは、納棺師がすべて行うのではなく、遺族も参加するのが本当の納棺ではないかと思うようになった。そうして立ち上げたのが「参加型納棺」を行う会社「桜」である。そして、遺族に亡くなった方の顔や手に触れたりして見送ってもらうため、事故や病気などで損傷の激しい遺体を生前の状態や表情に戻すことにこだわって、苦労を重ね復元の技術を身につけてきた。

(左)笹原さんの復元は「つくる」のではなく「戻す」ことにこだわる
(右)亡くなった方のために納棺時に納める笹原さん手作りの「導き地蔵」

安置所での悔しさから寝食を忘れ復元納棺に献身

震災発生直後は道路の検問などがあり、内陸から沿岸部にはなかなか行けない状況が続いた。そうしたなか、福祉活動を行っている知り合いの住職、太田宣承さんが支援物資を届けに行くことになり、笹原さんと「桜」のスタッフ菊池さんも沿岸部の大船渡に向かうことになった。

そこで目にしたのは、何もかもが津波に奪い去られた想像を絶する光景だった。「犠牲者は、報道されているような人数ではないかもしれない」。そう思って遺体安置所を探した笹原さんは、ある安置所で3歳くらいの女の子の遺体に出会った。

子どもは身体に水分が多いため、大人より損傷が激しい。この子に再会した時の両親の深い悲しみを思い、「自分なら生前の姿に戻せる」、すぐにそう思った笹原さんだが、それは法律上許されないことだった。身元不明で遺族の許可が得られないからだ。

「すぐにでもきれいな体に戻してあげられるのに、それができない。あの悔しさは今でも忘れることができません」。そこから、笹原さんたちの復元ボランティアがスタートした。

被災したままの姿で今も残る大槌町役場の庁舎
笹原さんは、亡くなった人たちの生きてきた証を忘れないよう、今もスケッチブックに描き続けている。
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