CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2011年度受賞

竹内 龍幸さん

生徒の「読みたい」という声にいつも心を励まされ

生徒の「読みたい」
という声にいつも心を
励まされ

生徒たちのために始めた点訳がいつしかライフワークに

浜松盲学校(現・静岡県立浜松視覚特別支援学校)の教師を退いて20年以上経つ今も、竹内さんはほぼ毎日1~2時間、愛用の点字タイプライターの音を書斎に響かせている。盲学校の生徒たちのために始めた点訳がライフワークとなり、いつしか60年の歳月が流れた。これまでに点訳を手掛けた本は、実に4,000冊を超える。点訳本の多くは旧浜松盲学校や静岡県点字図書館(静岡市)などに寄贈され、視覚に障がいのある方のために役立てられている。

常に目標を持って点訳に取り組んできた竹内さん。現在挑戦しているのは、全100巻にも及ぶ「日本古典文学大系」や20巻を超える「昭和万葉集」だ。

「古典文学の点訳は楽しいものですよ。打ちながらこんな注釈もあるのかなんてね。専門が国語ですから」。竹内さんはそう言って目を細める。

疲れたら無理をしないのが長く続くコツと話す竹内さん。点訳本を必要とする人がいる限りこれからも続けていきたいと、長年支えてくれている奥さまとともに、健康に留意しながら今日も点訳に取り組んでいる。

訪ねた学校で生徒に慕われ盲学校の教師の道に

浜松視覚特別支援学校に今も残る旧校名の銘板

昭和24年。静岡第二師範学校(現・静岡大学教育学部)で最終学年を迎えた竹内さんは、就職先を決める参考にするため、幾つかの学校などを訪問した。そのなかの一つが、後に教師生活のほとんどを過ごすことになる浜松盲学校(現・静岡県立浜松視覚特別支援学校)だった。

戦後間もないこともあり、校舎は病院だった建物を借用したもので、大きなガレージのような場所を幾つかに区切って教室に使っていた。生徒数は少なく、1学年が5~6人で、小学校から高等学校まで合わせても盲学校全体で60人ほど。それでも、生徒たちの表情が明るく生き生きとしているのが印象的だった。

別れ際、竹内さんは生徒たちから、またここに戻ってきて勉強を教えてほしいと懇願された。「その言葉に引かれましてね」と、当時を懐かしそうに思い出し笑顔を見せる竹内さん。それが決め手となり、浜松盲学校の教師になることを決めたのである。

(左)学芸会で生徒たちと演劇を披露したのも懐かしい思い出だ(右)長年通った校舎の前に立つ竹内さん

あまりの点訳本の少なさに自ら作ることを決意

浜松盲学校に赴任した竹内さんは、そこで生徒たちが使う点字の教科書が非常に少なく、点訳された辞書や一般図書もほとんどないという現実に直面した。どの出版社も採算が取れない点訳本には手を出さないのである。

このため、読み聞かせなども交えて授業を行うが、なかなか思うように進まないのが現状であった。「ないものはしょうがない。だったら自分たちで作ろう」。竹内さんはやがてそう決意する。

こうして地道な点訳作業が始まったのである。

1年ほどで点字の基礎を習得した竹内さんは、生徒たちの協力も得ながら、昭和26年6月から学習に役立つ百科事典の「ア」から点訳を始めた。以後、放課後や帰宅後、休日などを利用し、生徒に校正、製本などを手伝ってもらいながら黙々と点訳を続けたのである。

後に点字タイプライターを使うことになるが、最初は点字板と先端に針のついた点筆を使い、厚紙に一字ずつ点字を打っていくという地道な作業が続けられたのだ。

盲学校で点訳をする30代のころの竹内さん
歴代の点字タイプライター。年季が入っているが皆現役
Page Top
Page Top