昭和24年。静岡第二師範学校(現・静岡大学教育学部)で最終学年を迎えた竹内さんは、就職先を決める参考にするため、幾つかの学校などを訪問した。そのなかの一つが、後に教師生活のほとんどを過ごすことになる浜松盲学校(現・静岡県立浜松視覚特別支援学校)だった。
戦後間もないこともあり、校舎は病院だった建物を借用したもので、大きなガレージのような場所を幾つかに区切って教室に使っていた。生徒数は少なく、1学年が5~6人で、小学校から高等学校まで合わせても盲学校全体で60人ほど。それでも、生徒たちの表情が明るく生き生きとしているのが印象的だった。
別れ際、竹内さんは生徒たちから、またここに戻ってきて勉強を教えてほしいと懇願された。「その言葉に引かれましてね」と、当時を懐かしそうに思い出し笑顔を見せる竹内さん。それが決め手となり、浜松盲学校の教師になることを決めたのである。