
茂さんは二人に自殺を思い止まらせるとともに、生活保護法により自治体は居住者でなくても生活が行き詰った人を保護する責任があることを教え、地元の町役場(当時)に身柄を引き継いだ。あの二人は暗夜に灯火を得た思いだったろうと思い、茂さんも一安心したものだった。
だが数日後、茂さんのもとに新潟県長岡市発信で、一通の手紙が届いた。手紙の主はあの男女だった。茂さんは町役場が保護してくれたとばかり思っていたが、隣町まで行ける程度の交通費を渡し、体よく追っ払ってしまっていたのだ。東京に帰ろうと、長岡まで7ヶ所の行政窓口を訪れ命乞いしたが、いずこも扱いは同じで、二人は茂さんの親切に感謝しつつも、野宿を続けた挙句、生きていく気力を失ったと記していた。茂さんは急ぎ長岡市役所に電話した。だが時すでに遅く、男女は帰らぬ人になっていた。