
私たち家族は和也の事件以来、本当に多くの方々にお会い致しました。皆様からお悔やみのお言葉、励ましのお言葉を頂き、今日まで過ごすことが出来ました。
でも、ただどうしても会うことに躊躇した方々が現地ワーカーの青年たちでした。
この文章は、和也の一周忌にお出で頂いたワーカーの方々とペシャワール会にお掛けした挨拶です。
2008年度受賞
伊藤 和也さん
私たち家族は和也の事件以来、本当に多くの方々にお会い致しました。皆様からお悔やみのお言葉、励ましのお言葉を頂き、今日まで過ごすことが出来ました。
でも、ただどうしても会うことに躊躇した方々が現地ワーカーの青年たちでした。
この文章は、和也の一周忌にお出で頂いたワーカーの方々とペシャワール会にお掛けした挨拶です。
ワーカーの皆様、お忙しい中、多勢お出でいただき、ありがとうございます。正直言いますと、ワーカーの皆様とお会いすること、迷いました。
どうしても皆様の中から、和也の姿を捜してしまいます。和也の姿を思い出してしまいます。
なぜ、和也だけが帰ってこないのか、考えてしまいます。そして無性に和也に会いたくなります。
でもそれは母の気持ちで、和也は皆さんとお会いしお話したいんだろうなと思い、本日おいでいただく事を決心いたしました。この母の気持ち、どうかお察しください。
それから、仙台の写真展会場で本当に本当に偶然に、橋本ワーカーのお母様とお会いすることができました。お母様が言いました。「あの子をアフガンの地に送り出してから、一日もあの子の事を思わない日はなかった。ただただ無事で帰ってくることだけを毎日々願い、祈った。だからお母さんの事が人ごとではなかった」と私の手を握り、涙を流されました。
「二人の息子が逢わせてくれたんですね。」と言いながら、母二人、息子たちが写っている写真の前で写真を撮りました。
ワーカーの皆さん、皆さんのアフガンでの生活の裏では、毎日々無事を祈り続けた家族がいたこと、絶対に忘れないで下さい。そして今ある自分の命に感謝して下さい。
ペシャワール会の皆様、待ち続けた家族がいたこと、絶対に忘れないで下さい。そして今ある自分の命に感謝して下さい。
ペシャワール会の皆様、家族のこんな想いを忘れないで下さい。絶対に忘れないで下さい。そして、二度と私達みたいな想いをする家族を出さないと誓って下さい。お願い致します。
全国34か所で写真展を開催させて頂きました。毎回々会場に行かせて頂きましたが、本当に皆様にはお世話になり、感謝いたしております。
盛岡の会場にお邪魔した折、帰りの新幹線の時間に余裕がありましたので、母が若い頃から好きだった石川啄木が新婚時代を過ごした家があることを知り尋ねました。そこで買った歌集の中にこんな歌が載っていました。
よごれた手を
洗いしときの
かすかなる満足が
今日の満足なりき
きっと和也も、毎日々厳しい環境の生活の中で仕事を終え、自分たちが掘った貴重な井戸水で手を洗う時、こんな気持ちだったんだろうなと想像しました。和也は、大きな満足よりもこんな小さな満足にしあわせを感じる子です。
和也は本当にアフガニスタンの地が好きでした。アフガニスタン人になりたいと母に言ったこともありました。アフガニスタンの乾いた大地が和也を成長させてくれたと思っています。
また、写真展会場にはノートを置かせて頂き、皆様に感想を書いて頂きました。
その中にこんな感想が書かれておりました。
「私は今年から大学生になりました。何をするべきか、その答えを探しています。でも、そんなに悩まなくていいと思えました。人の笑顔のある所はそれだけで生きていくのに値する場所なんだと、伊藤さんの写真に教えられた気がします。」
写真展会場には多くの若い方にお出でいただきました。皆様には時間をかけ熱心に見て頂き、中でも「お母さん、握手してください。勇気をもらいました。がんばります」と言われた時には、熱いものが込上げてきました。
父と母は和也の命も守ってやれなかった後悔と悔しさでいっぱいです。時が経つにつれてこの気持が強くなってきます。時には二人で動く事ができなくなります。でも生きていかなくてはなりません。これから少しずつですが前を向いてゆっくり歩いて行こうと思います。
和也へ
あなたは私たちに本当にたくさんの事を教えてくれました。命の大切さ、食べる事の大変さ、人を愛するということ、人に愛されるということ。そして平和な生活への感謝。
父と母はあなたに何を教えましたか。なにも無かったような気がします。あなたの無言の教えはしっかりと繋げていきます。
いつか「お母さんも少しは大人になったね。」と言って下さいね。