1957年9月のことだ。16歳の西谷さんは何気なく新聞の投書欄を読んでいて、ある記事に目が吸い寄せられた。「これまで何回か中学校の夜間学級へ金銭的援助をしてきたのだが、家庭の都合でできなくなった。どなたか引き継いで下さる方はいませんか」。ある女子高生の訴えだった。西谷さんは中学に夜間学級があることをそのとき初めて知った。経済的に困っているんだろうなと、自らのことを念頭に置きながら想像した。
西谷さんは幼児期に父親が戦死、母親の富貴江さんが若松港で石炭を船に積み込む仲士(ごんぞう)をしながら女手一つで兄と西谷さんを育ててくれた。翌年、全日制に編入するが、それまでは自身が定時制高校生だった。家計を助けるために牛乳配達などもしていた。
「中学校にさえ満足に行けない子どもたちに、少しでも応援になれば。自分ができるところまで引き継いでやってみよう」。決心すると、アルバイト代などからまず300円を夜間学級のある東京の荒川第九中学校に送った。かけそばが30円ほどの時代。貴重な現金である。当初、手紙には名前は書かず、時候の挨拶と生徒たちへの励ましだけ記した。母親にも黙っていた。その行為が50年を越え、今に至るも続くことになろうとは、自身想像だにしなかった。