CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2006年度受賞

桑山 利子さん

生前の母親を囲んで家族・親戚と

母親と家計を助けたい。進学せずに働く決意

桑山さんは姉、弟に挟まれた次女として、1938年安城で生まれた。6歳のときに父親が南太平洋サイパン島で玉砕、戦後の窮乏期、母親は3人の子どもを抱え、寝る間も惜しんで働いた。「小学校に入った頃から、母親に倒れられたら困ると思って、姉と二人で早朝に起きて田んぼ仕事をしました。そんなことで早く起きるのが好き、働くことが好きになったんです」

中学を卒業すると、農協に勤めた。成績は良くて高校に行きたかったが、家計を助けるために働くことに決めたのである。「進学した同級生と出会うと、思わず電信柱の影に隠れたものです。卑下してたんでしょうね。スリランカの子どもたちに私と同じ思いをさせたくないということが支援を続ける大きな要因になっています」

仕事に熱心に取り組みながら念願の高校進学、そして卒業

自ら「前向きで行動的」と語るだけあり、その後、桑山さんは分家して母親の助けを受けながら八百屋を始め、15年ほどしてこれを食品スーパーに転換する。この間結婚し、3人の子どもをもうける。またアルバイトとして新聞配達を始め、これは2年前まで続けた。さらに働き者の桑山さんは、店をご主人に任せ、午後になると宅配便の副業を始める。これはパートからスタートして準社員になるまで続けている。辞めたのは10年前だという。スーパーのほうは、97年に近くに大型スーパーができたのを機に廃業している。

働くだけではない。02年には念願の高校進学を果たす。スリランカの子どもたちに触発された側面もある。この年4月県立安城高校定時制に入学、在学中は無遅刻無欠席で通学し、卒業式では答辞を読んだ。素晴らしきかな、人生である。

「子どもたちの喜ぶ姿だけで、私は十分満足です」

そんな桑山さんの社会貢献だが、最初のうちはご主人には内緒だったという。原資となったのは、新聞配達で得たアルバイト代。「いまのところ、まだそれが残っている。いよいよ無くなったなら、年金から出せばいい。人並みに暮らせればと思っていますから、今後も募金は続けます」と、桑山さんは屈託がない。シチズン・オブ・ザ・イヤーの賞金は洪水で流されたスリランカの小学校再建に送金した。07年5月にはご主人ともども現地を訪れ、新築の校舎の前で子どもたちの喜ぶ姿を見たので、それで十分満足だと話す。

長男は有名国立大学を卒業しているが、地元で社会福祉関係の施設に勤めている。自分の心を受け継いでくれているという思いがあって、そのことも桑山さんは殊にうれしいらしい。「日本のお母さん」ここにあり、である。

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