
救出活動は、チームワークが身上のメーカーらしく整然と行われた。重傷者は電車の座席シートなどで運び出され、医務室スタッフや女性社員の手で消毒や止血、給水など緊急措置を施された。彼女たちは重傷者が力尽きないように、「頑張って」と必死に声をかけ続けた。軽傷者は車で近くの救急病院に、重傷者は救急医のトリアージに従いトラックの荷台などに横たえ、パトカーの先導で総合病院へと送り込まれた。周辺道路が大渋滞していたので工場内を迂回路として開放、救助隊の車両駐車場としても提供した。
1時間ほどのち、誰もが慣れない救出活動に疲労困憊したころ、レスキュー隊などが次々と駆けつけてきた。11時15分過ぎ、これ以上民間企業社員がやるには限界があると中野らは判断し、一部の支援人数を残して多くの社員は撤収した。こうして日本スピンドル社員の余りにも長く、そして重い数時間は終わった。