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2005年度受賞

日本スピンドル製造株式会社 社員一同

大惨事となった事故現場で社員一丸、献身的な救出活動

大惨事となった事故現場で
社員一丸、献身的な救出活動

取材・文:清丸恵三郎

日本スピンドル製造(株)の長く重かった日

05年4月25日朝、兵庫県尼崎市の日本スピンドル製造(株)本社工場では、いつものように整斉と各職場で業務がスタートし、機械がうなりを立て始めていた。

9時20分ころ、総務グループ安全担当、笹山常俊(当時51歳)は防災に関する打ち合わせをしていたところ、電話が入った。「電車が脱線、多数の死傷者が出ている」

電話の主は西一工場という、西北端にある工場の班長からだった。笹山は自社の工場に電車が突っ込んだかと思い、大急ぎで現場へ向かった。途中で事故現場を見てきた社員と出会い、事故現場は通用門と道一つ隔てたマンションだと分かった。顔面蒼白の彼は、「車内にたくさんの人達が取り残されており、すぐに救出しないとみんな死んでしまう。救出に行く許可をくれ」と叫ぶように言う。

提供:毎日新聞社

「工場の操業停止。全社員が救援活動を開始」

笹山はすぐに安全責任者の総務部長に電話をし、許可をとった。総務部では、総務部長と中野龍一品質保証部長(現・取締役業務室長)らが状況把握のために現場へ走った。すでに社員4、5人が電車の突っ込んだマンションの下に入り込み救出活動に当たっていた。助け出された人はみな血まみれで、喚き出す人、その場に斃(たお)れこんで動かない人…。あたりは修羅場と化していた。

総務部長は余りの惨状に驚き、社長の齊藤十内に大規模な救援が至急必要だと報告した。齊藤も現場確認に急行、即座に「工場の操業停止。全社員による救援活動開始」を決断する。損益より人間の生命こそ大事だと考えたのだ。すぐに全社員が集められ、留守番を除き全員が救出、救護、搬送の3班に分けられ、現場に向かうことになった。多くが阪神・淡路大震災を体験、緊急時の相互扶助の重要性を認識していた。時計は9時50分を指していた。

建材事業部技術センターの森暁(34歳)が、現場に駆けつけたのは笹山の少しあと。上司から、「電車がマンションに突っ込んだ。すぐ来てくれ」と電話があったのだ。

まず眼に飛び込んできたのは映画のセットのような非現実的光景だった。映画でない証拠は、多くの人が目の前で苦しんでいることだった。森はマンション駐車場にもぐりこんだ2両目に入り、負傷者を運び出すことにした。立体駐車場のピット部分には水が溜まっており、水没した遺体が眼に入った。しかし生きている人が最優先だ。森は胸の中で手を合わせながら重軽傷者を運び出し、脇の道路や空きスペースに横たえていった。

事故当時を克明に語る笹山氏
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