
子どものころから機械いじり、ことに乗り物が好きで、工業高校を出ると本田技研工業(株)に入社したほどの堀田さんは、見事な踏込式三輪自転車を造り上げた。当時、梱包業を営んでいたが、時間に余裕があると、手製自転車を乗り回す子どもたちと一緒に遊んだ。
そんなある日、近所に住んでいるという50歳くらいの女性が訪ねてきた。
「私にも同じものを造ってもらえませんか。生まれつき足が不自由で、買い物や用足しに出かけるのに苦労してきました。これだと私にも運転できそう。何とかお願いします」
堀田さんは熟慮の末、引き受けた。何しろ水上オートバイを考案、会社に提案したが受け入れられず、自分でやろうと飛び出したほどの“ものづくり狂”だ。天職になるかもしれないとの思いもあった。それが、今日まで続く苦労の始まりだとは露思わなかった。