
輝く命を未来につなぐ小児がん治療支援の輪を世界へ
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シチズン・オブ・ザ・イヤー選考委員長
武内陶子さん

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2024年度受賞
渡辺和代さん
シチズン・オブ・ザ・イヤー選考委員長の武内陶子さんが、2024年受賞者の渡辺和代さんを迎え、ベトナムの小児がん治療の現場に飛び込んだ行動力の原点や、その根底にある熱い想いなどをお聞きしました。そこからは、現地の子どもたちや家族だけでなく、医療スタッフからも「日本のお母さん」と慕われる人間的魅力の本質が伝わってきました。
多感な時期にアメリカで培われた行動力
- 武内
- NPO法人の「アジア・チャイルドケア・リーグ」を立ち上げ、ベトナムの小児がん医療の現場で活動を始めてからちょうど20年ですね。40代を前に大きな決断をされて、しかもご自身は医療従事者ではないというところからのスタートで、その行動力に感動しました。
- 渡辺
- もともと私はとても引っ込み思案で、その一面は多分今でも変わらないと思うのですが、父親の海外赴任で中学2年から高校卒業までアメリカで生活した経験が、その後の自分の土台となる考え方や生き方、そして行動力を培ったのだと思います。
- 武内
- いちばん多感な時期ですものね。具体的にはどんなマインドを得られたのですか。
- 渡辺
- アメリカに行った当初は中学2年生の英語力なのでほとんど話すことができなかったのですが、近所の人も学校の先生や同級生も温かく接し支えてくれたんです。そのなかにはさまざまな国籍の人がいて、自分はアジア人だというアイデンティティが育まれると同時に、自らアクションを起こし、自分の意見を言わなければ、何も始まらないことを学びました。
- 武内
- 時期は異なりますが私もアメリカの西海岸にいたことがありました。現地で驚いたのは、地域によって違いはあると思いますが、アメリカ人はもっと個人主義の人が多いと思っていたのが、自分の子どもの誕生日会で恵まれない子どもたちへの寄付を呼びかけたりして、それを受け入れる仕組みもしっかりあるという懐の深さでした。
- 渡辺
- アメリカにはそういう面がありますね。困ったときは助け合い、多様なバックグラウンドを持った人たちがリスペクトし合っていて、今思えばそれを中学・高校で経験できたことはとてもよかったと思います。
- 子どもたちが見せる
最高の笑顔に感謝して
寄り添っていきます - 渡辺和代さん

「本当にこんなことをする人がいるんだ」が原点に
- 武内
- そんな渡辺さんが、ベトナムの子どもたちの支援に向き合うきっかけは、アメリカで観た映画だそうですね。
- 渡辺
- ベトナム戦争時、米軍の兵士が戦死した友人に代わり孤児院の子どもたちを助ける話なのですが、それが、英語を話せない自分を周りの人が支えてくれた姿と重なり大きな感銘を受けました。その後、書店で同じタイトルの本を見つけ、映画が実話に基づいていたことを知り、「本当にこんなことをする人がいるんだ」と衝撃を受けたのです。
- 武内
- 『Don't Cry, It's Only Thunder』というタイトルですね。戦争の爆音に怯える子どもたちに「大丈夫、怖がらないで。ただの雷だよ」と言って寄り添う姿が目に浮かびます。それが渡辺さんの脳裏に焼き付いてベトナムへの思いが募っていったんですね。
- 渡辺
- 実はそのタイトルを聞くと思い出すことがあるんです。アメリカ時代に母親が運転する車のブレーキが効かなくなって藪に突っ込んだことがあり、駆けつけた警察官が怯えている私に、「噛みつかないから大丈夫だよ」と、ユーモアたっぷりに声をかけて安心させてくれたんです。
- 武内
- 目の前の女の子が、どれだけ怖い想いをしているか気遣ったんでしょうね。人々を守る警察官という仕事を選んだその方の、生き方そのものから出た言葉だと思います。

NPOを立ち上げ社会福祉士となってベトナムへ
- 武内
- ベトナムの子どもたちへの想いは、実際にはどのように実現していったのですか。
- 渡辺
- 大学を出て勤めていた金融機関を退職し、もっと人と関わる仕事がしたいと思い派遣社員をしていたとき、以前から将来の希望を話していた派遣先の上司が、ベトナムでストリートチルドレンの支援をしている日本人の記事を見せてくれたのです。
- 武内
- 渡辺さんがしっかりとした目的を持っていたから、上司の方も気にかけてくれていたのでしょうね。
- 渡辺
- それですぐに連絡を取って、活動に参加させていただけることになり、ベトナム中部の都市・フエに向かいました。NPOを立ち上げる10年前のことです。ただ、1年ほど活動し病院ともつながりができるようになったころ父が脳梗塞で倒れ、介護のため帰国しました。
- 武内
- 突然の出来事で渡辺さんの人生が、また大きく動き出すことになったんですね。
- 渡辺
- 父の介護をするなかで、小児病棟の子どもたちと出会い、ボランティアでお世話をするようになったことが、小児がんと関わるきっかけになりました。
- 武内
- でも、ストリートチルドレンの支援と、小児がんの子どもたちを助ける活動ではかなり違いますから、その一歩を踏み出すのは大きな決断だったと思いますが。
- 渡辺
- 小児病棟では子どもたちが小さな体にたくさん点滴を付け、毎日つらい治療と向き合っていて、胸が締めつけられました。その現場を体感したことで、行動を起こさずにはいられなかったのです。それで、医療従事者ではない自分に何ができるかを考え、大学院に入り社会福祉士の資格を取り、自分の想いを実現するためにNPOを立ち上げて、再びフエ市に向かいました。


