CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2023年受賞

山田 美緒さん

心まで華やぐメークで自分らしく輝いてほしい!

ルワンダでともに築く
お母さんたちの笑顔の未来

学生時代にアフリカ5千キロを自転車で縦断

「シングルマザーを支援しているというよりも、私一人ではできないことに一緒に取り組んでいる仲間だと思っています。自分の仕事に対する責任感も強くとても感謝しています」

アフリカ・ルワンダで、困窮するシングルマザーのため、働く場所づくりや職業訓練、託児所運営などに取りくむ山田美緒さんは、彼女たちへの想いをそう表現します。

東アフリカに位置するルワンダは、1994年に民族紛争で約80万人が犠牲となる大虐殺が起きましたが、近年は「アフリカの奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げています。しかし、国民の約半数を貧困層が占めるなど、アフリカ諸国の中でも貧富の差が大きく、山田さんが取り組むシングルマザーの生活向上も重要な社会課題となっています。

山田さんとアフリカとの出会いは、大阪外国語大学(現大阪大学)のアフリカ地域文化学科に入学したこと。国際協力に興味あり、しかも「あまり日本人が行かない地域について学ぼう」と選んだのがアフリカでした。入学後は早速タンザニア旅行に行き、「次はもっと現地の人とコミュニケーションが取りたい」と、約5千キロのアフリカ自転車縦断を計画。誰からも「絶対死ぬ」と言われながら、死ぬ理由の一つ一つに対応策を考えて準備し、女性と見抜かれないよう坊主頭にしたり胸にさらしを巻いたりしながら自転車を走らせ、半年かけてケニアから南アフリカまで走破しました。

学生時代のアフリカ自転車横断では、女性と見抜かれないよう坊主頭にしたり付け髭をしたりして旅を続け、半年かけて南アフリカの喜望峰に到達した

移住したルワンダでシングルマザーの困窮に直面

家族でルワンダに移住し日本食レストラン「キセキ」をオープン。当初の従業員はほとんど男性だった

大学卒業後、会社勤めをしていた山田さんでしたが、もっと世界を見て回りたいと退職し、さまざまな国を自転車で走りました。そうした中、元青年海外協力隊員の男性と結婚して日本とシンガポールで子育てをしながら生活。2016年に、レアメタルのトレーダーをしていた夫が独立するのを機に、「いつかは暮らしたい」と二人で話していたアフリカ行きを決断。夫の仕事が多くあるルワンダの首都キガリへ家族で移住したのです。

移住後、料理をつくることや人をもてなすことが好きだった山田さんは、富裕層をターゲットとした日本食レストラン「キセキ」をオープン。当初は順調でしたが、食材やお酒にこだわってヨーロッパや日本から仕入れるうち収支が合わなくなり、加えて現地で雇った男性従業員のさぼりや盗難も重なって「もうやめようか」と考えるようになりました。

そんなある日、熱心に働く30代のシングルマザーに「あなたみたいな人がもっといたらいいのに」とつぶやくと、翌日なんと50人ものシングルマザーを連れてきたのです。そこで山田さんは、ルワンダにおける彼女たちの過酷な現実を知り、10人のシングルマザーを雇い入れました。

山田さんは彼女たちを雇ったそのときの想いを、「技術もなく、社会経験もなく、小学校も中退で、英語もできない。でも、働きたいという気持ちだけでやってきた、その必死な若いお母さんたちの様子に、同じ子育てをする母親として共感したところが大きかったです」と振り返ります。

シングルマザーたちには同じ子育てをする母として共感するところがあったという

レストランからソーシャルなビジネスに転換

シングルマザー支援で子どもたちが元気になったことで地域からの信頼も高まった

雇ったシングルマザーには10代の女性もいて、その背景には若年妊娠で男性が認知せず、離婚、DVなどがあり、自分とはまったく違う人生を歩んできたことがわかりました。それを聞くうち、「彼女たちを支援するというよりも、彼女たちと一緒に頑張って、皆の生活を良くしていこうという気持ちが強くなりました」と山田さんは話します。

ちょうど、このまま日本食レストランを続けても難しいと考えていた時期で、シングルマザーたちのために収入を得るには、価値のあるものを生み出すソーシャルなことをやろうと考えました。そうして立ち上げたのが、ソーシャルビジネスを行う会社「キセキ」でした。

生まれ変わった「キセキ」は「地域のお母さんが笑顔で暮らせる社会をつくる」を掲げ、最貧困家庭から選ばれたシングルマザーを中心に35人前後のルワンダ人を雇用。事業内容も、お母さんたちが安心して働けるよう子どもを預けられる託児所や、こども食堂、幼稚園の運営サポートなど広がりを見せています。

地域からの信頼も高まりました。当初、こども食堂を開設し約200食のご飯を無料で配り始めたときは、「地域に依存体質をつくりたくない」「ご飯目当てに物乞いがいっぱい来る」と、区長にも反対されたそうです。しかし、「お腹を空かせた子どもたちをそのままにできない」と初心を貫くうち、子どもたちの健康状態も良くなり、それにつれて学力も向上するという変化が目に見えるようになりました。そうして地域も認めるようになると、逆に何か困ったことがあると守ってくれるようになったそうです。

最初は10人ほどだったシングルマザーの従業員も、ソーシャルなビジネスを増やす中で30人以上に増えている
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