
バングラデシュの障がい者に車いすを送ろうと思い立った吉田さんだったが、立ちはだかったのが高額な輸送費用だった。
そんな吉田さんのもとへ、友人から耳寄りな情報が入る。「知り合いの大学生が、飛行機の手荷物で車いすを海外に持って行ったけど無料だったよ」というのだ。早速、当時北海道大学の医学部4年生だった柳生一自さんを紹介してもらい連絡を取ると、重さが20キロ以内なら飛行機の手荷物として無料で運べるというのである。
「これなら、海外に車いすを届けることができる!」。数日後、直接会った吉田さんと柳生さんはすぐに意気投合。継続して車いすを送るにはどうすればいいか週に一度は会って相談し、旅行者がボランティアで車いすを運ぶ仕組みを思いついたのである。そして、出会ってわずか3カ月後の1998年5月には、柳生さんを代表に、吉田さんを事務局長に「飛んでけ!車いす」の会を設立。数日後には、2台の子ども用車いすがタイに向け飛び立ったのである。