CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2018年度受賞

NPO法人 「飛んでけ!車いす」の会

手から手へ、心も届け!
あなたのための車いす

バングラデシュで目の当たりにした障がい者の現状

「バングラデシュに来てください。どんな支援ができるか、ご自分の目で見て考えてください」

1997年7月、札幌で英語講師をしていた吉田三千代さんは、世界最貧国の一つといわれるバングラデシュから来日した障がい者団体代表の講演会で、通訳のボランティアをした。そのとき、参加者からバングラデシュのために何ができるか尋ねられたときの彼の答えが、いつまでも胸に残った。

その年の12月、吉田さんはバングラデシュの現実を見なければと首都ダッカのスラムを訪ねた。そこで、人々の明るさに触れると同時に、生活環境の厳しさや障がい者が不自由を強いられている現状を目の当たりにしたのである。

日本に戻った吉田さんは、自分に何ができるかを考え続け、車いすを送ることを思い立った。養護学校の知人に聞いてみると、日本では、子どもは成長に合わせて車いすを乗り替えたり、大人にも買い替えを補助する制度があるため、使われていない車いすが数多くあることがわかった。しかし、海外に車いすを送る費用を調べると、船便で50万円以上必要だった。

バングラデシュのスラムを訪れた吉田さん

海外旅行のついでに車いすを運んでもらおう!

「飛んでけ!車いす」の会の初代代表を務めた柳生さん

バングラデシュの障がい者に車いすを送ろうと思い立った吉田さんだったが、立ちはだかったのが高額な輸送費用だった。

そんな吉田さんのもとへ、友人から耳寄りな情報が入る。「知り合いの大学生が、飛行機の手荷物で車いすを海外に持って行ったけど無料だったよ」というのだ。早速、当時北海道大学の医学部4年生だった柳生一自さんを紹介してもらい連絡を取ると、重さが20キロ以内なら飛行機の手荷物として無料で運べるというのである。

「これなら、海外に車いすを届けることができる!」。数日後、直接会った吉田さんと柳生さんはすぐに意気投合。継続して車いすを送るにはどうすればいいか週に一度は会って相談し、旅行者がボランティアで車いすを運ぶ仕組みを思いついたのである。そして、出会ってわずか3カ月後の1998年5月には、柳生さんを代表に、吉田さんを事務局長に「飛んでけ!車いす」の会を設立。数日後には、2台の子ども用車いすがタイに向け飛び立ったのである。

活動を始めた当初は、海外旅行をする学生ボランティアが車いす運搬の中心を担った

体格や障がいに合わせ、「あなた仕様」の車いすに

ボランティアの旅行者が車いすを届ける仕組みは斬新で、ラジオ、テレビ、新聞などで紹介され協力の申し出が一気に増加。「最初は1年に30台送れれば10年で300台は送れると思ったのが、わずか3年で目標に達しました」と吉田さんは振り返る。

それでも、当時はインターネットやメールが普及していない時代。電話とFAXでしかやり取りができない相手も多いため、使う人の体の大きさや障がいの状況を詳しく知ることができず、送り手として葛藤が多かったという。

2002年頃から相手の国々にもインターネットが普及し、使用者の情報が詳細に取れるようになり、車いすのカスタマイズがスタート。福祉施設や個人などから提供してもらった車いすは、一台ごとに座幅や背もたれ高、フットレスト高、重量などを計測し、シニアボランティアを中心とした整備チームによってデータベース化されるようになった。そして、届ける相手が決まれば、体格や障がいの状況に合った車いすを選び、胸や腰を固定するバンドや食事用のテーブルを付けるなど、最適な状態に調整・整備されるのだ。

届けられる車いすは、一人ひとりの体格や障害の状況に合わせてカスタマイズされている
届けられた車いすに乗り笑顔を見せるタイの親子
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