CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2014年度シチズン特別賞受賞

高山 良二さん

地雷処理が完了し、安全になった畑の前で喜びを分かち合う住民

7名殉職という悲しみを乗り越え、平和構築と復興を目指す

「住民参加型地雷処理活動」に向けデマイナー(地雷探知員)を募ると、79名の募集に200名もの応募があった。高山さんは選考にあたり、「家族に被災者がいる」「貧困層」「できるだけ女性を多く」という3つの方針を考えていた。実際に応募理由で最も多かったのも貧困で、多くの住民が聞くほどに気の毒な境遇にあった。

採用された住民のなかには、自分にできる作業を黙々と続ける妊娠中の女性や、40度を超える猛暑の作業で倒れる者もいた。しかし皆が、安心して学校や畑や道路が造れる場所になることを夢見て危険な作業に取り組み、高山さんも「住民が自らの手で復興すれば、二度と内戦は起こさない」という信念を持ち、村に腰を据えて活動した。

しかし、活動開始から半年が過ぎた2007年1月、対戦車地雷の処理中に爆発が起き7名が殉職する痛ましい事故が起きてしまう。高山さんは「自分の責任」と悔やんだが、尊い犠牲を平和構築や復興につなげるため、住民たちと悲しみを乗り越え活動を再開した。

被災の危険を除去するとともに貴重な収入源となるデマイナーの仕事には、男女を問わず数多くの村人が就いています

やむにやまれぬ思いが、いつしか地域の復興支援に

地雷処理について高山さんはこう話す。「私も含め、まず大事なことは、地雷処理を知っている、慣れているという気持ちを捨てること。すべての作業は逃げ腰でいいんです。一にも二にも事故を起こさないことが重要なんです」と。

村に住み、住民と暮らしを共にするなかで、地雷処理以外の村の問題にも取り組むようになった。そのきっかけについて高山さんは、「あるとき赤ちゃんを抱いている女性がいて、生後4日目くらいかと聞いたのです。そうしたら4カ月だという。あまりに小さな赤ちゃんを見て、私はそこから立ち去れませんでした。とにかく何とかしなければと思ったのです」と振り返る。

村で生活していると、同じように井戸が足りない、学校が足りない、学校はあるが通う道がないなど課題が山積していた。「復興支援と思って始めたことはありません。やむにやまれぬことが目の前にあって、それらを一つひとつ住人と一緒に改善してきたことが、結果として復興支援につながったのです」。こうして日本からの支援でできた道路や井戸、学校が、住民たちの暮らしに役立てられている。

戦争のない世界に向け、「平和の種になりたい」と活動は続く

日本の寄付で完成した道路を自転車で走る村人たち

高山さんは、「より現地に即した活動に取り組みたい」とJMASを退任し、2011年7月、郷里である愛媛県の支援者と共にNPO法人「IMCCD(国際地雷処理・地域復興支援の会)」を設立し、取り組みを進展させている。

JMAS在任中とIMCCD設立後の活動を合わせ、処理した地雷・不発弾は4000個を超え、学校を9校建設、井戸を138基掘削、道路整備を3.5km、日本企業誘致を5社、さらに芋焼酎などの地場産業育成や日本への留学支援など幅広い活動に成果を上げている(2015年2月末現在)。

高山さんに対するカンボジアの政府機関や州政府からの信頼も厚く、地雷処理技術顧問や復興担当顧問に任命されている。

住民から「ター」と呼ばれ、村の大人から子供まで慕われている高山さん。「ター」は「おじいさん」という意味で最初は抵抗もあったが、すっかり定着してしまった。1年の3分の2をカンボジアで活動する高山さんは、戦争のない世界をつくるという最終目標に向け、住人と一緒に暮らし、同じ悩みに取り組むという現場第一主義を貫きながら、「平和の種になりたい」と今日も活動を続けている。

子どもたちからも「ター」と呼ばれ慕われています
Page Top
Page Top