
1930年(昭和5年)、上中別府チエさんは、鹿児島県の農家に7人兄弟の4女として生まれた。日本が戦争へと突き進む時代で、学校では、好きだったそろばんや習字の時間が、空襲に備えた消火訓練のバケツリレーなどに代わっていった。
女学校に進学したいという気持ちを心の底にしまい15歳で終戦。24歳のとき結婚し、一男一女に恵まれ、その後、夫の転勤で神奈川県川崎市に移り住み幸せな家庭を築いた。
2004年、50年間連れ添ったご主人が亡くなり、チエさんの心に大きな穴が開いてしまう。線香を上げ、お経を読む毎日。「家に閉じこもってばかりじゃ、いけない」。見かねた娘さんのひと言に、チエさんは本来の自分を取り戻した。「そうだ、勉強をしよう」
区役所で、義務教育を9年間受けていない人は夜間中学に入れると教えられ、早速、川崎市立西中原中学校の夜間学級に電話をすると「大丈夫」との返事。すぐに学校に行き、その場で入学を決めたのは、76歳の春のことだった。