CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2012年度受賞

吉村 隆樹さん

思いを伝えたいすべての人たちの「こころのかけはし」に

思いを伝えたい
すべての人たちの
「こころのかけはし」に

「ハーティーラダーは、人を幸せにするソフトですね」

吉村隆樹さんにとって、自ら開発したソフトに寄せられる「ありがとう」の言葉は、何ものにも代えがたい喜びだ。

「私自身、障害のある人間ですから、コミュニケーションができないつらさはよく分かっています」。そう話す吉村さんが、仲間の協力を得て作り上げたソフト「ハーティーラダー(Hearty Ladder)」は、単に文字を入力するための手段ではなく、ハンディを持つ人たちが自分の思いを伝えるための「こころのかけはし」になっている。

19歳の夏、足の手術をした病院でパソコンと出会った吉村さんは、退院後も独学で次々とプログラミングをマスターしていった。日常生活に介助が必要だった吉村さんにとって、自分一人で操作でき、出来上がったソフトに健常者との違いがないプログラミングは、その後の生き方を決定づけた。

就職という大きな夢もパソコン通信をきっかけに実現した吉村さんは、2000年、「ハーティーラダー」を開発して無料で公開。2011年には「マイボイス」という機能を追加し、障害や難病を抱える人たちのため、現在も改良を続けている。

ソフト利用者から届いた感謝のメール

人生の大きな転機になったパソコンとの出会い

初めて使った病院のパソコン

1984年、長崎県立諫早養護学校(現・諫早特別支援学校)を卒業した吉村隆樹さんは、佛教大学通信教育部の社会学部社会福祉科に入学した。1年生の夏には、母親のアヤ子さんのサポートを受けながら京都でスクーリングに参加。「本当に楽しかった」と今でも二人で思い出す学生生活を満喫した。

その年の9月、吉村さんは足の手術をするため入院し、自らの人生に大きな転機をもたらすパソコンと出会った。以前から強い興味を持っていたが、病院の医局で本物のパソコンに触れたときのうれしさは「想像をはるかに超えていた」。その日から医師によるパソコン指導がスタートした。

問題も発生した。手に障害があるため、打とうとするキー以外にも指があたってしまうのだ。試行錯誤の末、吉村さんは両手でスティックを握りキーを打つ入力方法を考え出した。このスタイルは現在も続いている。

入院中の約1年間、プログラミングを次々とマスターした吉村さんは、退院間近には、診療報酬の計算ソフトがほしいという理学療法士の要望に応え、見事に作り上げてみせた。

(左)リハビリに励む大学生の吉村さん(右)お母さんと一緒に参加した、大学のスクーリングで友人たちと

「神様がおまえを必要と思ってくれはったら…」

吉村さんは、脳性小児まひのため手足や言語に障害はあったが、ソフトのプログラミングに優れた才能を発揮し始めていた。指導してきた医師は、将来のことも見据えてか、退院に際し当時まだ高価だったパソコンを買ってあげるよう両親に助言した。

大学3年のとき、吉村さんはパソコン通信と出会い、社会とのつながりが一気に広がる。「人の力を借りることの多かった自分が、自作のソフトで誰かの役に立ちお礼のメールが届く」。この感動は、何より大きな励みになった。

そんな吉村さんのもとに、臨床検査会社でプログラム開発をしている男性から、一通のメールが届く。「一度、自分が働く会社に来てみないか」。自信のあるソフトを持って訪ねた吉村さんの話を、男性は熱心に聞いてくれた。帰りのクルマの中で「ここで働けたら」とつぶやく吉村さんに、「神様がおまえを必要と思ってくれはったら、必ず仕事が見つかるで」と、母親のアヤ子さんは励ましたそうだ。

やがて、夢は現実となる。1988年12月1日、吉村さんは正社員として採用され、社会に参加し人の役に立ちたいという願いが叶った。しかも、在宅勤務という願ってもない条件だった。

パソコンを購入後は、プログラミングに熱中
勤務先のラボテックの皆さんと
Page Top
Page Top