
1984年、長崎県立諫早養護学校(現・諫早特別支援学校)を卒業した吉村隆樹さんは、佛教大学通信教育部の社会学部社会福祉科に入学した。1年生の夏には、母親のアヤ子さんのサポートを受けながら京都でスクーリングに参加。「本当に楽しかった」と今でも二人で思い出す学生生活を満喫した。
その年の9月、吉村さんは足の手術をするため入院し、自らの人生に大きな転機をもたらすパソコンと出会った。以前から強い興味を持っていたが、病院の医局で本物のパソコンに触れたときのうれしさは「想像をはるかに超えていた」。その日から医師によるパソコン指導がスタートした。
問題も発生した。手に障害があるため、打とうとするキー以外にも指があたってしまうのだ。試行錯誤の末、吉村さんは両手でスティックを握りキーを打つ入力方法を考え出した。このスタイルは現在も続いている。
入院中の約1年間、プログラミングを次々とマスターした吉村さんは、退院間近には、診療報酬の計算ソフトがほしいという理学療法士の要望に応え、見事に作り上げてみせた。