CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2010年度受賞

吉田 守松さん

事故ゼロの誇りを胸に今日も笑顔でハイタッチ

事故ゼロの誇りを胸に
今日も笑顔でハイタッチ

「子どもたちの安全を守りたい」その信念を貫き52回目の春

吉田守松さんが愛知県名古屋市千種区にある千石小学校の通学路に立つようになって、2013年の春で52年目を迎える。雨の日も風の日も、夏も冬も、吉田さんは毎朝交差点に立ち、登校してくる子どもたちに旗をかざし、横断歩道で誘導を続けてきた。その間、ただの一度も事故を起こしていないのが吉田さんの誇りだ。

交通指導を始めたとき、吉田さんはまだ27歳。その頃、小学校へ通っていた児童の孫が、今は同じこの道を通って登校している。いつしか子どもたちと笑顔でハイタッチを交わすようになった吉田さん。しかし、子どもたちの動きも車の流れも毎日違うため、信号機があっても毎回が緊張の連続で、寒風が吹きすさぶ氷点下の朝でも寒さを感じないほどだと話す。

「娘が小学校を卒業したときや、その娘夫婦に店を譲ったときなど、やめようかと思ったことも何度かありましたが、今はできるだけ続けていきたいと思っています」と笑顔を見せる吉田さん。週2回スポーツジムに通い体力と健康の維持にも努めている。

入学式の日に事故発生!交通委員として交通指導に参加

ドライバーからよく見えるよう、既製品の旗に反射材を貼り付けるなど手を加えている

昭和36年、地元の小学校の入学式当日、新入生が車にはねられる事故が発生。当時幅7メートルだった道路には、信号機はおろか横断歩道さえなかった。

地元で酒屋を営んでいた吉田さんはPTAではなかったが、地域の交通委員をしていたことから、輪番で始まった保護者による交通指導に応援で参加するようになった。しかし、そこで吉田さんが見たのはあまりにも危険な交通指導だった。「車の流れや運転感覚が分からないお母さん方が、急に車を止めようとして後続の車が追突しそうになるなど、危険な状況が頻発していました」。

これはいけないと感じた吉田さんは、警察署の交通課に1週間通い、旗の出し方や車の止め方の講習を受けた。「車を止めようと腕を前に出しても、ドライバーには手のひらしか見えませんから、まず真っすぐ上にあげなさいとか、交通指導に必要なことをいろいろ教えていただきました」

こうして、正しい交通指導を学んだ吉田さんは、保護者にも助言するようになり、自身も毎日交差点に立ち子どもたちの安全を見守るようになった。

今も、ドライバーにはっきりとわかる手信号で子どもたちの安全を守る

ドライバーに注意を促すため制服も自前で用意

警察署で講習を受け、毎朝交差点に立つようになった吉田さんだが、ジャンパーに腕章を着けただけのため、止まれの合図を無視されたりドライバーから罵声を浴びることもあった。そこで、警察官をイメージさせる制服を自費で縫製店に作ってもらい、ヘルメットもかぶるようした。

「お巡りさんのように見える制服だと、私自身も安全だし、子どもたちやドライバーも気をつけてくれます。それに、今も交差点に立っていると、私を見てあわててシートベルトを締める人がいます。そういう意味でも交通安全に寄与しているのかなと思いますね」そう言って吉田さんは笑う。

昭和40年代の初頭、道路が20メートルに拡幅され信号機も設置されると、過剰保護になるということで保護者による交通指導が終了した。しかし、準工業地帯のこの地域では倉庫などが増え、道路の拡幅によってトラックやトレーラーが頻繁に通るようになった。大型車が子どもたちのすぐ脇を通るのを見た吉田さんは、たった一人でも交通指導を続けていこうと決心した。

これまで7~8着は制服を作ったという吉田さん。制服を着ると気持ちが引き締まるという
60歳ごろに、それまでのヘルメットから制帽に替えた
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