CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2007年度受賞

谷垣 雄三さん

日本からおよそ36時間。ニジェールで谷垣さんと再会

  • 2010.1.28
  • 関西空港を出発、パリ経由でおよそ36時間、現地時間午後4時20分にようやくニアメ空港に着陸。日本の地方空港よりもっと小さい。
    谷垣さんと再会を果たし、ニジェール第一夜を過ごす市内のサヘルホテルへ。夜、ホテルの庭にあるレストランで再会の乾杯。裏をニジェール川がゆったりと流れ、大きな夕陽が川面に落ちてゆく。
  • 真ん中が谷垣医師を支援する会の平井英子さん(筆者)

「この国の人たちの生活を見てほしい」

  • 2010.1.29
  • ランドクルーザーと乗用車に分乗、午前8時ホテル発。目指すは「パイロットセンター」のあるテッサワ。途中、大きな町を抜けると必ず門を通過するのが面白い。走ること10時間でテッサワ着。
    私は車窓から目を皿のようにして、あるものを探した。谷垣さんが私たち同級生を含め故郷峰山の人たちの支援に感謝し、診療所のシンボルとして設置した「峰山の門」である。「あった!」。フランス語で「POLTE DE MINEYAMA」と書かれている。写真やビデオで見慣れた鉄製の門がそこに立っていた。
    谷垣さん宅に到着。大勢の出迎えを受けて、感激する。歓迎会を兼ねた夕食会で谷垣さんが次のように挨拶された。「この国の人たちが、どのように生活しているか見ていただきたい。それが相互に理解と愛情を深めることになる」

国の実情に合わせながら、最善の医療を目指す

  • 2010.1.30
  • 午前10時前、センターに初めて行く。歓迎式があり、スタッフの人たちに紹介されるとともに、中を案内される。建物にしても、設備にしても立派なことに驚く。
    診察に当たる谷垣さんと、看護士長のイスマイルさん、看護士のオセイニさんのチームワークも抜群だ。患者さんの話すハウサ語(ニジェールの最大部族ハウサ族の言葉)を2人がフランス語に訳して谷垣さんに伝える。彼らはその間に体温と血圧を測り、谷垣さんの指示が出ないうちに診察や薬の準備。一方で、検査や入院が必要な患者さん、薬の必要な患者さんから、決められた代金をその場で受け取る。
    もっとも手術代は入院費も含めて1万セーファー・フラン(日本円で2,000円ほど)。全てがこの国に実情に合わせ、きわめて低く抑えられている。
  • 手際よく準備する看護士たち
診察する谷垣医師
  • 診察室の隣は検査室、薬品庫など。どの部屋もきれいに整理されている。レントゲンやエコー診断装置、内視鏡等も揃っている。谷垣さんが苦労してここまでにされたのだと実感する。
    倉庫では私たちが送ったタオルや新聞紙が大切に保管されていた。しかもそれらが色々なところで重要な役割を果たしているのをこの目で見て、発送を手伝った一人として誇らしく、かつ嬉しく思った。
    谷垣さんは、「現在のセンターはこの国の医療に一番合ったものになっている。つまり長年の経験を生かし、診察室も手術室も最適の規模にして経費も圧縮。身の丈に合った最適の設備になっている」と自信を持って語られた。
    それにしても、患者さんは日本では見たこともないような酷い症状の人たちばかりだ。これほど悪くなるまで病院に来られないこの国の状況に愕然とせざるをえない。

自立した医療を実践。確信に満ちた谷垣さんの言葉

  • 2010.1.31
  • 日曜日のみ広場で開催されるテッサワの市へ。テッサワは周辺地域の商業・交易の中心で、通りには露店と、食べ物から食器類などを頭に乗せて売り歩く人、それにお客が混ざりあい、ごった返している。牛、馬、羊に、ラクダも多い。土埃と人の多さ、加えて動物の臭いがすごい。
    夕方センターに戻ると、診察を終えた谷垣さんは、看護士二人と計算中。月末なので、1カ月分の診察・治療・薬代などの計算をされていた。あくまでも経営的自立を目指しておられるのだ。
  • 2010.2.1
  • センターの職員とともに近郊のタカジ村、マスシ村へ。タカジ村では村人総出で出迎えてくれた。どちらの村にもまだ電気がきていないそうだ。
    帰ってきてからの谷垣さんの述懐。「以前は仕事に追われるばかりだったが、センターを再開して自分に合う外科治療を行うことができるようになった。フランス流ではなく自分なりのやり方をやってきてよかったし、その点では目的を達した」

やって来るのは、すぐにでも手術が必要な患者ばかり

  • 2010.2.2
  • テッサワ市内の、人夫(看護助手)頭サニーさん宅を訪れる。イスラム教徒なので一夫多妻。サニーさんには奥さんが2人。谷垣さんによると「この国では、女性の多くが精神・睡眠障害で眠れない」という。女性間の葛藤が原因なのかしら、と思う。
    谷垣邸で休憩していると、「片脚を切断しなければならない患者さんが来ているから、センターへ見学に来るように」とのこと。診察室に、膝の下が花の咲いたように腐敗化膿した女性がいた。彼女は翌日、足の切断手術をすることに。続いてナイジェリアで交通事故に遭い頭に大怪我を負い、現地の病院で手術したが経過がよくなくセンターにやって来た大柄な男性。どくどくと血が滴り落ちている。「多分、再手術になる」というのが、谷垣さんの診断だった。

手術を控えた谷垣さんに別れを告げて

  • 2010.2.4-6
  • 当初、谷垣さんを含め砂漠地方へ数日間旅行に行く計画だったが、治安上の問題が発生したとかで中止になり、テッサワに滞在。
    谷垣さんは診察だけは続けておられたが、6日朝、こう告げられた。「ニアメまでお送りしたいと思っていたが、38名の患者さんが手術を待っておられるので、できなくなった。ここで明日お別れします」。何時までも患者さんを待たせて置けないということだ。残念だけれども致し方ない。
  • 2010.2.7
  • 谷垣さんやオセイニさんらが、ニアメに向かうわれわれを送ってくださる。谷垣さんの手を振る姿がだんだん遠のいていく。

ニジェールという国

正式にはニジェール共和国。西アフリカのサハラ砂漠南縁に位置し、国土の3分の2が砂漠であり、日本のおよそ3・5倍の国土に、1529万人が住む。
農業、牧畜、鉱業が主産業だが、農業と牧畜は自給自足の域を出ない。鉱業はウランが中心で、世界第3位の埋蔵量を誇るが、国民生活を潤すまでに至っていない。1人当たりのGNPが200ドルに満たない世界最貧国の一つである。

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