CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

対談

ともに悩み、支え、道を切り開くその熱意が若者を勇気づける

シチズン・オブ・ザ・イヤー選考委員長の山根基世さんが、2015年度受賞者の白石祥和さんを山形県米沢市に訪ね、就労支援を行う居酒屋「結」で、さまざまな困難を抱えた若者に寄り添う活動についてお聞きしました。そこからは、家族や故郷への想いも伝わってきました。

家族の絆のなかで学んだ自分の役割

  • 山根
  • 白石さんの活動の原点を考えると、小学校の臨時教員として初めて教育の現場に携わり、特別支援の必要な子どもを担当したことが大きな転機になりましたね。そのとき、何か教えるというよりも、自分が子どものころに楽しかった経験をさせて、その子が次第に心を開いていったという話がとても印象的でした。
  • 白石
  • 私の家は、祖父母と両親と妹2人の7人家族だったのですが、両親とも忙しいなかで年に何回かは必ず旅行に連れて行ってくれたり、バーベキューをしてくれたりしたのがすごくうれしかったんです。それで、子どもたちとかかわるときも、同じ経験を共有したいという気持ちが強かったのだと思います。
  • 山根
  • 相手が子どもでも、お互いの心が通い合えば心を開きますものね。白石さんご自身が子どものころはどんな家庭だったのですか。
  • 白石
  • 両親からは、玄関の掃除とか兄弟それぞれに仕事が与えられていて、終わると必ず「ありがとう」と声を掛けてくれるので、いつもやってよかったという気持ちになりました。妹2人の面倒も結構みていましたね。
  • 山根
  • 今は、勉強だけをしていればいいと言って、家の手伝いをさせない親が増えています。実は、そういう経験が人格形成には大きいんですよね。
  • 白石
  • そう思います。自分も妹の面倒をみて2人から頼られた経験が、今の自分にさまざまな形で生きています。
  • 山根
  • いま白石さんは中学生や高校生など若者を支援する仕事をしていますが、ご自身、中学、高校時代はどんな生徒だったのでしょう。
小学校の臨時教員のときは休日も子どもと過ごし信頼関係を築いた
  • 白石
  • 勉強熱心ではなかったですね。勉強をする意味が分からなくなったこともありました。皆と同じことを皆と同じ場所でやっていることにも中学生くらいから違和感があって、外で自由にできるサッカーが自分に合っていると思っていました。
  • 山根
  • 大学は国立の山形大学に進学されました。大学を卒業するときに消防士を志望されたのは、どんな想いからなんですか。
  • 白石
  • 人の命にかかわる仕事をしたいという想いはありましたが、将来の生き方を考えたときに、自分のなかでは生まれ育った米沢に戻りたいというのが一番大きな理由でした。
  • 山根
  • そこにも興味を惹かれるんです。私などは進学のため上京するとき、早く故郷を出たいと思いました。白石さんの米沢への想いはどんなところから生まれているのでしょうね。
  • 白石
  • 家族がいたことが大きいと思います。それに、自分がこの地に育ててもらい、故郷といえるのはここしかありませんから、どんな仕事でもいいから故郷に戻って生活したいと思いました。
私たちは誰もが
世界にたった一人の
かけがえのない存在なんです
白石祥和さん

かけがえのない一人ひとりのために

  • 山根
  • そんなに愛している米沢なのに、2年続けて消防士の採用試験で不合格になってしまいました。その後、厳しい冬の北海道で酪農の仕事をされて、そこでは、どんなことを考えたり学んだりしましたか。
  • 白石
  • 酪農だけでなく、自動販売機の設置の仕事やサクランボ農家、トンネル工事などをするうちに、教育の大切さを意識するようになりました。
  • 山根
  • それは、単に教育というよりもさらに広い意味で、仕事を通して人間がどう成長していくのかを考え、人間そのものに対する興味が深まったのかもしれませんね。
  • 白石
  • そうですね。小学校の臨時教員をした後、フィリピンでストリートチルドレンの支援活動に参加したときも、日本のような教育の機会がなくとも、子どもたちが一生懸命に生きていて笑顔がきらきら輝いているんです。そこに人間的な強さを感じました。
  • 山根
  • そんな経験をして帰国したあと、いよいよフリースクールを立ち上げる準備に入るわけですね。そのとき自分の想いをチラシに書いて、米沢市内の約7000軒を回って賛同者を募ったそうですが、一番伝えたかったのはどんな想いだったのでしょう。
  • 白石
  • 「あなたはたった一人のかけがえのない存在」ということです。それは子どもたちだけじゃなく、大人に対してもそうです。一人ひとりが本当にかけがえのない存在なんだと強く感じていました。
  • 山根
  • 7000軒回って賛同者が11人集まったそうですが、そのときはどんな想いでしたか。
  • 白石
  • 11人というのは、とても多い数字だと思いました。
  • 山根
  • そうなんですね。こういう仕事は想いが伝わり、共感してくださる方がいても、それじゃ一緒にやりましょうとはなかなかなりません。そう考えると、11人集まったのは素晴らしいことですね。そうして始まったフリースクールでは、これまで何人くらい学んだのですか。
  • 白石
  • 約50人が卒業しました。仕事に就いた後も、それぞれに大変なときがあると思うので、彼らとは自分が生きている限り、ずっとつながり続けていきたいと思っています。
お互いの気持ちが
通い合えれば
子どもたちも
きっと心を開きます
山根基世さん
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