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受賞者一覧

2021年度受賞

30年以上にわたり帯広少年院で絵画を教え、何事も諦めずやり遂げることの大切さを伝える

過去の自分とも重なった少年たちに夢中になれる気持ちを伝えたい

帯広市在住の画家、飯田和幸さん(80歳)は、2022年4月1日をもって閉庁が決まっている帯広少年院で、30年以上にわたって絵画を教えながら、何事も諦めずにやり遂げることの大切さを教えてきた。

きっかけは1980年代半ば、絵画教室を開く飯田さんに、同少年院から、少年たちの更生と社会復帰を支えるボランティア「篤志面接委員」として絵を教えて欲しいと声が掛かったことだった。40代で忙しい時期であったが、「さまざまな苦労を経験し、少年たちが自分と重なり気持ちが痛いほど分かる」という想いから、最初は1年だけのつもりで引き受けた。

以来、30年以上にわたり月に2回ほど、水彩画やデッサンの指導を行った。授業では技術的な指導はせず、一つの作品を創り上げることを目標にする。私語が禁止された教室で、ひとりひとりの生徒と向き合い、完成まで根気強く見守り続けた。同少年院では、地域ボランティアによる特別授業を積極的に取り入れ、2012年からは知的障害や発達上の課題を有する少年の受け入れや、情操教育として「心」や「人間力」を育て、表現するための授業にも力を入れた。「飯田さんの経験と人柄を通じた授業は、少年たちにとって学びが多い」と同少年院の曽和院長は語る。

活動の背景には、幼少期からの自身の経験が影響している。小学生時代に両親が離婚し、貧しさと寂しさから同級生との喧嘩を繰り返した。中学卒業時には、美術の先生になりたいという夢があったが貧しさから断念。中学卒業後は帯広で映画看板絵師となるも十数年後にはテレビの普及から映画業界が斜陽となり、勤めていた会社も倒産し職を失う。途方に暮れていた時、中学時代の美術教師と偶然再会し、好きだった絵を描くよう薦められ20代後半で画家に転向する。3色だけ買えた絵具を手につけて、夢中になって絵を描いた。白いキャンバスに向かって絵を描いているときだけは嫌なことを忘れられた。そして完成した作品を賞に応募すると、帯広市、北海道、東京と連続で入選していった。この時の、生まれて初めて人に認められた経験が糧になり人生が好転していった。その後も独学でパステル画を学ぶなど画家として活動の幅を広げていくなかで地元高校から依頼があり、美術講師として10年以上教壇に立った。

自身の経験から少年院では、絵を通じて自分にとって夢中になれるものを見つけることの大切さを教えた。「絵が上手くならなくてもいい。歌でも、文章でもいい。夢中になれることがあれば、人生を諦めないようになる。諦めなければ、いつか道が開けるのだ」と。2021年8月末で、帯広少年院での授業は終了。最後の授業から数日後、「出院したらイラストレーターになりたいと夢を持つことができた」とひとりの院生から少年院経由で飯田さんに感謝の手紙が届いた。絵画を通じて30年以上にわたって伝えた飯田さんの心は、多くの少年にずっと残り続けるだろう。

飯田さんが教えていた帯広少年院。2022年4月1日をもって閉庁が決まっている
少年たちと自分に重なるところを感じ30年以上活動を続けた
院生の作品。月2回の授業で水彩画やデッサンを教えていた
絵を通じて何事も諦めずにやり遂げることの大切さを教えた

表彰理由

絵を通じた温かいメッセージが院生にも伝わった

30年以上、少年たちと真摯に向き合い、絵を教えてきた飯田さんの実直な姿に感動する。一つの作品を作り上げることを目標とする飯田さんの教えには、「諦めず、くじけず、最後まで努力を続ける」という、少年たちへの温かいメッセージが込められている。複雑な家庭環境に育ったからこそ分かり合えるものがあるのだろう。私語禁止の教室の中で、絵を通じて会話するお互いの姿が見えるようだ。

受賞コメント

この度、この様な賞を頂くのは青天の霹靂と言ってもいいくらい、とても驚きました。また、この様な趣旨の賞があることにも、とても感動しました。私が今日まで少年院のボランティアを続けることができたのは、彼らが昔の自分と重なるところがあったからです。その子達の気持ちがよく解り、忙しいなかでも少年達と会うのが楽しみになっていました。なにより彼らが何とか人生を諦めずに生きて欲しいと願っていたからだと思います。今迄生きてきた中で、正直に生きるという自分の信念は間違っていなかったということを再確認することができました。

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