CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

村岡 真治むらおか しんじさん

東京都在住

自閉症や知的障害のある子どもたちの学童保育の先駆者として、40年以上にわたって施設を運営

東京都小平市に3カ所ある放課後等デイサービス事業所「ゆうやけ子どもクラブ」には、地域の特別支援学級や特別支援学校に通う小学1年から高校3年生の自閉症や知的障害のある子どもたちが週5日、放課後に集まってくる。1978年の発足以来40年以上にわたり、障害児の学童保育施設として、子どもたちの成長を見守り続けている。同クラブは、この分野の草分け的存在となっている。障害のある子どもの放課後活動が珍しかった時代に、発足時からこのクラブの運営に携わり、活動を推進してきたのが、代表を務める村岡真治さん(62歳)である。

きっかけは1978年、大学1年生の時だった。先輩から、小平市での障害児のボランティア活動に誘われた。それは、子ども4人、ボランティア5人でスタートさせた活動だった。活動場所として借りてあった福祉作業所に出向くと、子どもたちが走りまわっている光景に驚く。村岡さんの「障害者は車いすに乗っている人」というイメージが覆った。発達障害、自閉症、知的障害など様々な障害があることもはじめて知った。そして子どもたちと真剣に遊ぶボランティアたちの姿に「ここまでするのか」と感動する。それまで障害者支援に全く関心がなかった村岡さんをこの体験が変えた。

施設もお金もない中で初期メンバーに参加した。子どもの世話だけでなく、地元自治体に補助金制度活用を請願したり、活動の場所を探したりなど運営に関わる事務的業務もこなしていったが、「活動は楽しくて仕方がなかった」という。保護者から感謝の気持ちを伝えられ、人のために役立つことの喜びを知り、障害のある無しに関わらず、人間の持つ尊さ、豊かさを知ったからだった。

村岡さんは大学卒業後、中学校の英語教師となり一度活動からから離れた。しかし、発足当初のボランティア仲間も卒業で活動をやめていく。「このままでは、発足時の思いを伝える人がいなくなってしまう」「自分を変え、育ててくれた活動を無くしたくない」と感じ、親の反対を押し切って1年で教師を退職し、1984年春にクラブに戻った。以後、運営に力を尽くし、当初週1日だった活動は1993年には5日に拡大。発足以来、公園、公民館、地域集会所、福祉会館、学校などから活動場所を提供してもらっていたが、1997年に地元の旧公民館建物に入居し、念願の常設のクラブとなった。同年から、子どもたちの学校と施設の送迎も開始した。利用者も増え、運営をスムーズに行うため「NPO法人あかね会」を設立した2001年には、2つ目の拠点、2013年に3つ目の拠点を市内に開設。学校の長期休暇中(春・夏・冬休み)にも対応する。現在、3カ所合わせスタッフは常勤8名、非常勤30名の体制で運営しており、節目で手作りコンサートを開催するなど、活動の幅も広がっている。

今後について村岡さんは、「活動を大きくするのではなく、足元の運営を安定させ、子どもたちにとって手厚い環境を作り続けたい。次の世代に引き継いでもらうためには、給与面も含め安心して働ける環境が必要」と話す。道のりは平たんではないが、子どもたちの日々の成長が大きな力を与えてくれる。

  • 人としての豊かさや尊さは変わらないということを、子どもたちとの触れ合いの中で感じていった
  • 一人一人の子どもと真剣に向き合い、全力で遊ぶ中で、日々子どもの成長に励まされるという
  • 節目の年にはコンサートなどイベントを開催。会場は地域の方をはじめとした満員のお客さんで盛り上がった

表彰理由

大学時代のボランティア活動から40 年あまり。大学卒業後、いったん教師として就職しながら、親の反対を押し切ってクラブに戻り、一貫して障害児たちの成長を見守り続けてきた、その生き方を尊く思う。ごく小さなグループから出発し、たゆまぬ努力で、ここまで充実したクラブに育てた功績は大きい。障害児の尊厳を大切に、時間をかけてその人格を育てていくという考え方は、生産性第一主義がはびこる今、忘れてはならない貴重な哲学だ。

受賞コメント

今から43年前、大学に入学した私は、偶然にも、「障害児のボランティア活動」(クラブの前身の活動)に誘われました。「障害児」について何も知らないまま参加したところ、さまざまなことを教えられました。子どもは、障害があっても、豊かな内面世界を持っていること。子どものために自分を活かそうとする大人がいること…。今、相模原事件のような問題も起こりうる社会にあって、人間という存在の奥深さや尊さをいっそう発信していきたいと思います。どうもありがとうございました。

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