CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2018年度受賞

濱田 龍郎さん

一杯のラーメンがつなぐ
笑顔と笑顔、心と心

3年間で1万杯のラーメンを振る舞った阪神・淡路大震災

未曽有の大災害となった阪神淡路大震災では、出発までに熊本の人たちから多くの義援金も寄せられた

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。折しも急性すい炎の治療中だった濱田龍郎さんは、自分が中心となり熊本県益城町で設立した「ボランティア仲間九州ラーメン党」のメンバーに、阪神行きの準備を依頼した。そして迎えた出発の日、誰からも見送りだと思われていた濱田さんは、走り出そうとするマイクロバスに飛び乗り、22 人の仲間と共に熊本から被災地へと向かったのである。

鍋やコンロなどの調理器具とラーメンの食材を積んだバスは一路被災地を目指し、神戸に着くと3日間で約1000杯のラーメンを提供。その後も阪神・淡路大震災の被災地を3 回訪れ、3年間で1 万杯のラーメンを振る舞った。

厳冬の1月だったこともあり、ラーメンは被災地の人たちの心身を温めた

障がいを持つ少年との出会いからボランティアの道へ

濱田さんがラーメンのボランティアを始めたきっかけは1989年。熊本県益城町でラーメン店「福ちゃんラーメン」を営んでいた濱田さんは、ある日、近所にできた障がい者施設から出前の注文を受けた。施設に着いた濱田さんが「こんにちは、福ちゃんラーメンです」と声を掛けると、ひとりの少年が大声をあげながら突進してきた。この出会いが、その後の濱田さんの人生を決定づけることになったのである。

大声をあげながら突進してくる少年を目の当たりにし、ラーメンを守ろうと後ずさりした濱田さんだったが、近づいた少年は岡持ちに手を伸ばすと、うれしそうに施設内に運んでくれたのである。

施設の人から、「お手伝いしたい」という気持ちからの行動だったと聞かされた濱田さんは、「人は誰でも人のためにできることがあるんだ」と、その少年から教えられたような強い衝撃を受け、自らの偏見を恥じたと話す。

その日から、出前のたびに施設の利用者と触れ合うのが楽しみとなった濱田さんだったが、施設の食堂が完成すると注文はぱったり途絶えてしまった。日増しに寂しさが募った濱田さんが施設に連絡をすると、施設長から「利用者に外食をさせようとあちこちのお店に電話をしても、障がい者施設であることを理由にいつも断られてしまうのです」という話を聞いた。そこで濱田さんは、施設の人たちを自分の店に招待することを思いついた。

福祉施設や被災地の人たちを笑顔にしてきた濱田さんのラーメン

「ラーメン交流会」を原点に、広がってきたボランティア

待ちに待った招待の日、20人も入ればいっぱいの「福ちゃんラーメン」には、障がい児や施設のスタッフ約50人がやって来た。

このとき、忙しくラーメンを振る舞いながら、「おじちゃんおいしい」「ありがとう」と言って、皆が笑顔でラーメンをほおばる姿に、濱田さんは「ただただ、心が洗われた」と話す。これを機に、他の障がい者施設や高齢者施設の人たちを招待したり、遠方へは調理器具や食材を積んで出かけるようになった。

これが、今も続く「ラーメン交流会」の原点であり、一杯一杯の積み重ねが10万杯になったのである。ボランティアを始めた濱田さんは、酒もタバコもやめ、散髪や衣服への出費も節約して活動に打ち込むようなった。

一方、ボランティアでラーメンを振る舞う活動には、家族の協力も欠かせない。奥さんの幸子さんは活動を始めた当時を振り返り、「主人をひとりの人間として尊敬し、感謝もしていましたので、好きなことをしてください、私もついていきますという気持ちでした」と微笑む。3人の娘さんも、遠方にボランティアで出かけるときには「今度はどこに行くの?」と明るく送り出してくれたそうだ。

「ラーメン交流会」では、集った誰もが同じ目線でラーメンを楽しむ
福祉施設での「ラーメン交流会」では、奥さんの幸子さんや3人の娘さんも大活躍
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