CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2022年度受賞

認定NPO法人 マギーズ東京

がんと共に歩む人々が自分の力を取り戻すために

がんと共に歩む人々が
自分の力を取り戻すために

創設者の遺志を受け継いだマギーズセンター

「マギーズ東京をつくってくださりありがとうございます。私はここで救われました」

がんを告知され、どうしようもない混乱の中にいたある女性は、マギーズ東京を訪れることで徐々に自分の力を取り戻し、前向きに生きられるようになったという。

東京都江東区豊洲の一画にある「マギーズ東京」は、英国で生まれた「マギーズキャンサーケアリングセンター(マギーズセンター)」の日本版施設として2016年10月に開設された。マギーズセンターは、造園家だったマギー・K・ジェンクスさんが、がんの闘病中に「患者ではなく一人の人間でいられる場所と、友人のような道案内がほしい」と願ったことをきっかけに誕生した。彼女はその完成を見届けることはできなかったが、遺志を受け継いだ人たちにより1996年に英国・エジンバラで創設され、現在は世界27カ所へと広がりを見せている。

マギーズセンターは、がんを経験している人やその家族、友人など、がんに影響を受けるすべての人にとって、いつでも気軽に立ち寄り無料で利用できる第二のわが家のような存在。ここでは、四季が感じられる庭や木の温もりが漂う落ち着いた環境の中で、訪れた人は不安や悩みを経験豊かな看護師や心理士に気兼ねなく話すことができ、気持ちの整理がつくことで次第に自分の力を取り戻していく。

木の温もりに包まれ、四季が感じられるマギーズ東京は第二のわが家のような存在

姉の看護を機にがん患者や家族を支える道に

マギーズ東京の誕生を牽引した秋山正子さん

このマギーズ東京の設立に、人一倍の強い熱意と行動力をもって尽力したのが、センター長で共同代表理事である看護師の秋山正子さんだ。

39歳の時、末期がんの姉を在宅で看護した秋山さんは、限られた中でも姉が子どもたちとかけがえのない時間を送ることができたのを経験。それを機に、療養中の人とかかわる時間をもっと持ちたいと1992年に訪問看護の道に進んだ。しかし、医療の進歩で患者やその家族ががんと共に歩む時間が長くなっているにもかかわらず、自分たち看護職がそうした在宅ケアを必要としている人とつながれるのは残された時間や選択肢が少なくなってからで、「もう少し早くその人たちの悩みが自分たちに伝われば、もっといい時間を過ごしてもらうことができるのに」と痛感。がんと向き合う早い段階から、誰もが気軽に相談できる場所があればという想いを強くした。

そうした中、2008年に国際がん看護セミナーで登壇した秋山さんは、マギーズ・エジンバラセンター長のアンドリュー・アンダーソン看護師と出会い、その相談支援の考え方や実践方法に感銘を受け大いに共感。翌年には仲間とエジンバラセンターやウエストロンドンセンターを視察した。ただ、マギーズには建築や資金面で高い基準があったため、設立に向かう準備段階として、2011年にマギーズのコンセプトを取り入れた「暮らしの保健室」を開設したのである。

(左)姉の看護をきっかけに訪問看護の道に進んだ秋山さん
(右)マギーズセンターのコンセプトを基に開設した「暮らしの保健室」

「これこそ、私や家族が治療中にほしかったもの!」

一方、「日本にマギーズセンターが必要」と、患者側の立場で共感していた女性がいた。現在、秋山さんと共にマギーズ東京の共同代表理事を務める鈴木美穂さんだ。

テレビ局の記者だった鈴木さんは24歳のとき乳がんになり、休職して治療を行うことになった。家族も非常に動揺し、家と病院のほか居場所がなくなった鈴木さん自身も孤独と悲しみに包まれた。そんな辛い治療中に思ったのが、「元気になったら、自分のように思い悩んでいる人のためにできることをしていきたい」ということだった。

その後、治療が落ち着いた鈴木さんは、早速若年性のがん患者の団体を立ち上げた。そして、2014年に患者支援の国際会議でマギーズセンターの事を知り、「これこそ、私や家族が治療中にほしかったもの!」と強く思った。

そこで、日本にはマギーズセンターについてどんな情報があるのかネットで検索してみると、ヒットしたのはわずか4件だけ。そのすべてが秋山さんの記事だった。マギーズについて日本で一番詳しいのが秋山さんだと知った鈴木さんは、すぐに会いに行くことにした。

アンドリュー・アンダーソン看護師(中央)と共に
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