CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2017年度受賞

グリズデイル・バリージョシュアさん

子どもたちの健やかな成長への願いを苗木に託して

一人でも多くの障がい者を
愛する国、日本へ

高校2年で日本の言葉や歴史、文化に出合い夢中に

父親と一緒に初めての日本滞在

カナダ・トロント生まれのグリズデイルさんにとって、初めて訪れた日本は言葉も文化も建物も異なる、まさにワンダーランドだった。

生後半年のころに出た高熱が原因とみられる障がいが手足に残ったグリズデイルさんは、4歳ごろから電動車いすの生活となった。日本に興味を持つようになったのは高校2年生のとき。将来、IT関連の仕事に就きたいと考えていたことから、キャリアアップに活かせるのではないかと日本語を学び始めたのがきっかけだ。

先生は、長く日本のインターナショナルスクールで教えていたカナダ人で、言葉だけではなく、歴史やサブカルチャーまで楽しく教えてくれ、日本への興味がどんどん膨らんでいった。

「もし教えてくれたのが他の先生だったら、そこまで日本に興味を持たなかったかもしれません」

そして2000年の夏、高校卒業のお祝いとして、父親と2人、1カ月にわたる初めての日本滞在が実現したのだ。「見るものすべてが初めての経験で驚きの連続でした。日本に来る前は移動に不安があったのですが、実際に来てみて、バリアフリーが進んでいることにも驚きました」

高校2年のとき出合った日本語がすべての始まり

外出先での日本人の親身な対応に「住みやすさ」を実感

移動に不安を持って訪れた日本は障がい者に優しい国だった

初めて日本を訪れたグリズデイルさんは、滞在中、IT関連のボランティアをしながら、大好きになった秋葉原はもちろん、箱根などへも足を伸ばし、日本の旅を楽しんだ。中でも印象的だったのが日本人の温かい対応だった。

地下鉄浅草駅のエレベーターがない場所では、体重と合わせると200キロにもなる電動車いすに乗ったグリズデイルさんを、駅員が6人がかりで運んでくれた。「落とされないかと内心では心配しましたが(笑)、親身な対応にとても感動しました」と振り返る。

カナダの駅でこうした対応を受けたことはなかった。さらに日本では、電車に乗り込むときにスロープ板を用意してくれるだけでなく、降りる駅でも連絡を受けた駅員が待っていてくれて感動したと言う。このときの体験が「暮らしやすい日本」を強く印象づけ、いつかは住んでみたいという日本へのあこがれを強くしたのである。

大学時代にも、両親や友人と2度にわたり日本を訪れたグリズデイルさんは、卒業後、地元カナダのIT企業に就職したが、日本へ行きたいという想いをずっと募らせていた。それは、遊びに行きたいというのではなく、「日本に戻りたい、戻って長く働きたい」というものだった。

乗る駅でも降りる駅でも駅員の親身な対応に感動

「大好きな日本を皆に好きになってほしい」と新たな挑戦

2007年、日本のNPO法人の求人に応募して採用されると、グリズデイルさんは就労ビザを取得して念願の来日を果たした。26歳のときである。

そこで5年ほど働いた後、現在の職場である社会福祉法人にウェブマスターとして採用され、ホームページの管理をするようになる。ちょうど東京五輪・パラリンピックの開催決定や、日本を訪れる旅行者が急増してきた時期でもあり、そうした状況の中で、グリズデイルさんはある一つのアイデアを思いつく。それは、障がいのある外国人旅行者に向けて日本のバリアフリー情報を英語で発信しようというものだった。

その原点には、英語によるバリアフリー情報が少なく苦労した経験がある。「日本には、せっかく素晴らしいバリアフリー対応やサービスがたくさんあるのに、英語の情報が足りないために旅行をあきらめてしまう外国人がいるのはとても残念。自分が大好きになった日本を、みんなにも好きになってほしい。それなら自分の経験をもとに英語で発信すればいいと思ったのです」

早速、終業後や土日の時間を利用して観光スポットのバリアフリー状況をチェックし、サイト作りに取り組んだのである。

訪日外国人が急増する中、英語でのバリアフリー情報発信を着想
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