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受賞者一覧

2025年受賞

日本語教育から住まいのサポートまで、ミャンマーの若者支援に奔走

ミャンマーの若者の学びや就労を支える日本の「先生」

岐阜市在住の置田和永さん(75歳)、起美さん(67歳)夫妻は、ミャンマーから来日する若者を支援するボランティアに奔走している。日本語やパソコンを教えたり、留学、就労支援など、個人の力でできることを地道に続け、来日した若者からは「先生」と呼ばれ慕われている。

置田夫妻とミャンマーとのつながりは、2012年に始まる。岐阜県内で小中学校の教師をしていた和永さんは定年退職後、文部科学省のシニア派遣制度に応募し、ヤンゴン日本人学校の校長に就任。起美さんも同行した。夫妻は現地でボランティアとして日本語を教えていたが、熱心な若者が多かったことから、起美さんはミャンマーに進出する日本企業への就職につながる学びの場として、日本語学校、パソコン教室の「MJBD(Myanmar Japan Business Development)」を立ち上げた。最初は自宅の一部を教室としていたが、「学びたい」と集まる若者が後を絶たず、やがて広いスペースを借りて授業を行うほどになった。その間、ミャンマーの経済も発展し、多くの若者が現地の日本企業に就職した。

2015年、和永さんは任期が終了し帰国するが、起美さんはそのままヤンゴンに残り活動を継続。しかし、コロナ禍で状況は一変し、2020年帰国を余儀なくされる。翌年にはクーデターが起こり、日本企業も撤退、起美さんも再びミャンマーへ戻ることが困難となったため、活動の中心を「日本での留学・就労支援」へと切り替えた。

現在は、ミャンマーにある送り出し機関※や現地スタッフと連携し、日本での進学・就労につながる支援を行っている。ミャンマーでは自分たちの将来を真剣に考えて海外に目を向ける若者が少なくない。そんな若者たちにとって日本での生活は人生の選択肢のひとつになっている。置田夫妻の下には「日本に行きたい」という若者からの相談が絶えない。
※日本で働きたい外国人を募集・選抜して送り出す機関

主に和永さんが日本語を教え、起美さんが事務や渉外をこなす。活動の柱は、日本語教育、学生向け進路相談、就労支援、住まいの手配など多岐にわたる。ミャンマーからは大学留学や就労を目的に若者たちが来日する。夫妻が支援した若者は、開始以来累計で100人を超える。

日本語教育の授業は、ミャンマーにいる若者に向けてオンラインで行い、毎回約15人が受講。中級レベルの教材を使い、毎週火、水、日曜の午後8時30分から2時間行うほか、木曜には、介護施設で使用する日本語を教える。就労支援では若者の働き口の確保するため、個人的な人脈を生かして奔走し、介護や建築・土木、養鶏などの企業に結びつけてきた。その実績は岐阜県内を中心に京都府、石川県など広範囲にわたる。ミャンマーは年長者を大切にする文化があり、親切に対応する姿勢は、人手不足が社会問題となっている介護の現場で高く評価されており、資格を取得して介護に携わる若者も多い。

置田夫妻は若者たちが住めるように自宅近くの住宅を購入し、部屋を提供。さらに、岐阜県内に住むミャンマーの若者たちへ月1回食糧を届けたり、自宅に招いて料理を振る舞ったりもしている。

先日、「先生への感謝の気持ちは一生忘れません」というメールを受けた起美さん。彼、彼女らの笑顔を見るたびに「この活動をしていてよかった」と感じる。平和を願い、2016年には太平洋戦争の犠牲者を慰霊し、ミャンマーとタイに「世界平和の塔」を建立した和永さん。「今日本にいる若者たちも10年、20年後にはミャンマーに戻る。そのときは力を合わせて平和な国にしてほしい」と願う。

表彰理由

外国人への関心が高まる中、政情不安定なミャンマーの若者を抽象的な「外国人」ではなく、身近な隣人として支援しているのは素晴らしい。地元で草の根的に支援を続け、人として向き合う姿勢は、多様性への理解を広げる力がある。また、ミャンマーの人々が介護など日本社会を支えている現状を踏まえると、彼らの努力を後押しする取り組みとしても意義が大きく、評価できる。

受賞コメント

私が60歳になり教員退職後、第二の人生をどう生きたらいいか考えた時、亡き父「久平」が私を「和永」と名付け、二人合わせると「永久平和」となることから「世界平和に貢献する」ことにしました。

そして3年間、ミャンマーのヤンゴン日本人学校の校長職を文科省から依頼され、その後内戦に至ってしまった「ミャンマーの平和支援」に決めました。今回その私たち夫婦の老後の生き方をシチズン時計株式会社様が認めて下さり、とても有難く心から感謝申し上げます。

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