20年前のベトナムでは、小児がんは「治らない病気」とされ、多くの子どもたちが命を落としていた。こうした状況を改善し尊い命を救おうと、2005年からベトナム・フエ市の国立フエ中央病院を中心に、アジアで小児がん医療の支援を無償で続けているのが、渡辺和代さんである。
渡辺さんとベトナムとの最初の出会いは、中学から高校までアメリカで暮らしていた時に見た一本の映画だった。ベトナム戦争の孤児をアメリカ兵が助けるという実話で、大きな感動を受けた。日本の大学を卒業し、外資系金融機関に就職したが、もっと人と関わる活動をしたいと4年余りで退社。1995年からベトナム・フエ市でストリートチルドレンの救済活動を行う日本の団体(「ベトナムの『子どもの家』を支える会」)のボランティアとして約1年間、現地で活動した。その中で、フエ中央病院と関りができる。その後父親の看病のため帰国し、病院に通う中で、国内の小児がん支援団体の活動を手伝うようになり、日本とアジア途上国との医療の格差を感じた渡辺さんは、ベトナムの子どもたちを支援したいと強く感じ、自らが主体となって支援しようと決心する。医療従事者でない自分に必要なものは何かと考えて、2000年4月から4年間、日本の大学院で学び、社会福祉士の資格を取得。2005年にNPO法人「アジア・チャイルドケア・リーグ」を立ち上げ、ベトナムに赴きフエ中央病院で活動を開始した。
医療環境の不備、診断・治療の遅れ、経済的理由など、適切な治療が受けられない要因は数多くあり、医療面、社会福祉面、双方の活動を行っている。医療面では、医療人財の育成と療養環境の向上に主軸を置いている。「小児がんは治る病気」と理解してもらうため、学会とフエの医療従事者との橋渡しや、研修のコーディネート、医薬品の供給、院内の食事提供や栄養管理、医療機器の整備、ワークショップなどを行っている。5年前には日本からの寄付で移植用の無菌室ができ、医療のレベルアップにも貢献した。
社会福祉面としては、患者、家族に対する経済的サポート、病院内で「家族の会」を発足し、治療による副作用や感染症リスクを家族や患者に伝えたり、時には患者の家庭を訪問し、患者と家族のことを理解し、励ましながら支援するといったことを行う。また療養生活が少しでも楽しくなるイベントも開催する。残念ながら命を落した子どもの遺族へのグリーフケアにも取り組み、数年に一度慰霊祭も行うなど、きめ細かい活動を行っている。こうした多岐にわたる支援を、日本や海外の医療エキスパートと連携して行っている。渡辺さんは自分を「橋渡し役」と話すが、自らも病院に泊まり込み、子どもたちと過ごす。こうした活動が実り、当初1割程度だった急性リンパ性白血病の「5年生存率」は、現在約7割まで向上した。現地の子どもたちや家族、医療スタッフからは「日本のお母さん」と呼ばれ、2024年にはフエの名誉市民称号を授与された。渡辺さんは「治療が終わり、成長した子どもたちとの再会は至福の時」と語る。
現在、医療エキスパートのネットワークは、日本、アメリカをはじめ、シンガポール、オーストラリア、イタリア、ドイツ、インドなど10カ国以上に広がり、支援の場もカンボジア、ラオスなど周辺の国々にも広がっている。
受賞コメント
小児がん支援をスタートして20年という節目に栄誉ある賞をいただけますこと、とても光栄に思います。ここに至るまでの道のりでは、たくさんの小児がんの子どもたち、ご家族、そしてご支援・ご協力くださった方々との出逢いがありました。その方々の存在なくして私の“今”はありません。関わってくださった全ての皆さまに心から感謝を申し上げるとともに、これからもがんの子どもたちが最適な治療・ケアを受け、病気を克服して、笑顔に包まれながら成長していけるよう努めてまいります。