CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2023年受賞

原爆ドームの前で、17年にわたり国内外から訪れる人々に原爆の実相を伝える

8ヵ国語に訳された自作のファイルブックを用意し、180ヵ国、延べ30万人以上にガイドを行う

1945年(昭和20年)8月6日、広島市に投下された原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドームの下には、今日も三登浩成さん(78歳)の姿がある。雨の日以外はほぼ毎日、自宅から自転車で約40分かけて原爆ドームに通い、朝10時から17時頃までドームの前に立つ。得意な英語を生かし、国内外から訪れる人々にボランティアで原爆の事実を伝えている。これまでに延べ30万人以上を案内し、うち約9万5,000人が計180ヵ国から訪れた外国人だ。

三登さんは、母親のお腹の中で被爆した「胎内被爆者」である。父も母も被爆の体験を語ることはなく、20歳の時に母から「被爆者健康手帳」を渡されて、初めて自分が「胎内被爆者」だと認識した。

大学卒業後は県立高校で英語教師をしていたが、50歳の年に転機が訪れた。研修で平和記念公園内の碑巡りに参加し、車いすで被爆体験の語り部を続けていた沼田鈴子さん(2011年に87歳で死去)と出会った。彼女の話を聞き、自分も家族も被爆者でありながら、あまりにも知らないことが多いことにショックを受けた。「自分のような若い被爆者が後を継がなければならない」と思い、58歳で教員を早期退職し、独学で原爆について学んだ。資料館のガイドも務めたが、交代制で週1回しかできない。毎日ガイドをしようと、2006年の夏に、60歳の年からドームの前でガイドを始め、17年以上続けてきた。

ガイドの目的は「平和の種まき」だ。これは沼田さんの手記にある言葉で、核廃絶のために、なるべく多くの世界の人たちに原爆の実相を伝えるということ。そのために、事実を正確に、分かりやすく、心に響くように伝えることを大切にしている。

三登さんはガイドをする際、まず「被爆者健康手帳」を見せて自分と家族の話をする。写真やイラスト、図表を用いて原爆や核兵器についてまとめた自作のファイルブックを使い、「なぜ広島に原爆が落とされたのか」「どのように投下され、どこで爆発したのか」「爆発後に何が起きたのか」「放射線はいつ無くなったのか」「インフラの素早い復旧の秘密」など、「ヒロシマ」の基礎知識を伝える。時間のある人には、 被爆地蔵、墓地、爆心地などへのガイドも行う。ファイルブックは、「母国語に翻訳したい」と申し出てくれた外国人の力を借りて、現在は8ヵ国語を用意。1~2時間かけてじっくりと読みふける人も多い。観光客や留学生、大人から子どもまで様々な人が訪れるが、この地までわざわざ足を運ぶ外国人は、関心の度合いが日本人とは全く違うという。一番多い質問は「残留放射線はいつまで残ったのか」。鋭い質問をぶつけてくることもあるので、「生半可な知識では答えられない」と話す。あらゆる質問に答えるため、数百冊の原爆関係の本を読んでいる三登さんは常に新たな情報の収集も怠らない。

そんな三登さんの元には、世界中からお礼のメールが届く。事実を知って、何を感じ、どんな行動をとるかは人それぞれだ。その「事実」を伝え続けることを、元気な限りこれからもこの場所で続けていきたい。

表彰理由

延べ30万人以上に案内という実績だけでなく、自作のガイドブックを8ヵ国語で用意して多くの人たちに分かりやすく伝えようとする努力と、胎内被爆者としてひとつひとつ、平和の種をまくように言葉を紡いでいくその姿に人間的な力強さを感じ、感銘を受ける。ウクライナや中東など、世界で紛争が止まない今、平和を願い活動する三登さんをはじめとする原爆の語り部の人たちの意味はこれまで以上に大きいと感じる。

受賞コメント

突然の受賞の知らせを聞いてびっくりしました。「市民生活に感動を与えた人々を讃える」という趣旨を知り、感動が湧いてきました。私のガイド活動の評価はガイドした人たちの反応や、感謝のメールで十分でしたが、こんな形で評価されるとは思ってもいませんでした。家族をはじめ、ガイド仲間や私の活動を応援してくれた人たちも自分のことのように喜んでくれました。これからも健康である限り、雨の日以外は毎日なるべく多くの人たちに「事実」を伝えます。

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