CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

対談

少年たちが自分の道を探し出す目印に

  • 山根
  • 帯広少年院で絵を教え始めたころは、40代の働き盛りで忙しい時期だったと思いますが、ご自身の絵とはどのように向き合われていましたか。
  • 飯田
  • 絵を描くことで、自分自身というものをきちんと持つことができたということはありましたね。絵を描いているときは夢中になれますし、心がまっすぐになりますから。
  • 山根
  • そういう想いを少年院の子どもたちにも伝えたいと思ったのですね。
  • 飯田
  • 話はしますが、無理に伝えようとは思っていませんでした。聞いた子がそうは思わないと感じたなら、それでいいのです。ただ、そんなふうにいろいろ判断する基準になることを話す大人がいれば、自分の道を探し出す目印になりますよね。生徒のなかに絵をやりたいという子が出てきたのも、いろいろ判断して自分の道を見つけたのだと思います。
  • 山根
  • 30年以上飯田さんが見てきた少年たちは、今、それぞれ自分の道を歩んでいるわけですね。飯田さんは絵の授業を通してご自身が人生のなかで学ばれたことを少年たちに語りかけてきたわけですが、閉庁のため最後となった昨年8月の授業では、どのようなことを子どもたちにおっしゃったのですか。
  • 飯田
  • 普段通りの授業をして、「今日で最後だね」と挨拶をし、さりげなく終えました。何か改めて話そうとすると、こちらもやはり辛いですからね。それでも、家に帰ってきてから、私はあまりお酒が飲めないのですが、その晩だけはいつになく飲みました。やはり、今日で終わりと思うと、胸にじんと来るものがあったのですね。

たくさんの出会いに感謝しこれからも絵と共に

  • 山根
  • ところで、飯田さんをずっと支えてこられた奥さまとは十代で結婚されたそうですね。
  • 飯田
  • 映画の看板絵師をしているとき、妻も映画館で働いていて知り合いました。今でも覚えていますが、妻の家に行って向こうの親に一緒になりたいと言ったら、「どうやって食べていくんだ」と怒られました。それで、「一寸の虫にも五分の魂というが、五分の虫にも一寸の魂がある」とたんかを切って、うちに来いと妻に言って帰ってきたのです。その日の夜中、本当に私の家まで何十キロも歩いて来てくれたのです。
  • 山根
  • それは感動的ですね。やはり、絵も人も好きだということが大きな力になりますね。そんな飯田さんがご自身の生き方に基づいて伝えた言葉は、少年院の子どもたちにとって人生の宝になっていると思います。また、飯田さんは子どもたちの絵を見て回りながら、よく褒めていたそうですね。やはり、少年院に入っている子どもたちは褒められたことが少ないと思いますので、誰かに認められる経験は大事なのでしょうね。
  • 飯田
  • そうですね。もちろん、何でも褒めるわけではなくて、一人一人の子どもたちの絵には、必ずいいところがあるんですね。線がいいとか、色がいいとか、構図がいいとか。そういう、いいところを見つけるのがまず大切なのです。
  • 山根
  • 自分の絵のいいところを見つけてもらって、飯田さんに褒められた子どもたちは、その後どんな変化があるのでしょうか。
  • 飯田
  • 多くの子は一瞬「うーん」という感じなのですが、実際はうれしいのでしょうね。褒められたところを大事にするので、そこからだんだん伸びていくのです。そして、院生に限らず、褒めることと同じように大事なのが一緒に泣けること、そして相手のために本気で怒れることだと私は思っています。
  • 山根
  • そうなのですね。今回、子どもたちと向き合ってきた少年院での活動に一区切りついたわけですが、現在も絵画教室をされていますし、絵を通した皆さんとのつながりはこれからも続きますね。
  • 飯田
  • やはり、妻の支えがあってここまでやってくることができ、周りのたくさんの方のおかげで活動を続けてこられましたので、そのことに感謝し、賞をいただいたことを励みに、もう少し頑張ってみようと思っています。今日はありがとうございました。
辛い時にも夢中で描き上げた飯田さんの作品の数々
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