CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2012年度受賞

ルダシングワ 真美さん

義肢製作所の建設は、まず譲り受けた土地の土を使ってレンガづくりを始めることからスタートした

障害者の自立に向け、職業訓練や就労支援も

仮の製作所で活動を始める一方、政府から譲り受けた土地での義肢製作所づくりも進められた。それは、土地を切り開き、その土を使ってレンガを1つずつ作る地道な作業だった。

真美さんたちの義肢の提供活動は、間もなく口伝えに広がり、多くの障害者が訪れるようになった。ところがしばらくすると、提供した義足や杖などが街で売られていたり、着けた義足をはずして物乞いに戻ってしまう人がいるという現実に直面した。

「大切な寄付に支えられ、一生懸命作った義足でしたから、最初は必要な人のために返してほしいという思いが強かったです」と真美さんは話す。しかし、義足を着ければ歩けるようにはなるが、それだけで生活が楽になるわけではない。「収入が得られるような技術を身に付けてもらって、初めて障害者支援が完結する」。そう思った真美さんたちは、職業訓練校を設けてさまざまな技術を教え、さらに、敷地内にレストランやゲストハウスを作り、就労の機会を提供するとともに義肢の製作費に充てている。これらの施設で形成された「ワンラブ・ランド」は、誰もが利用できる集いの場となった。

障害者の自立や雇用創出などを目指し、ワンラブ・ランドは今も進化を続けている

平和な国づくりに向かうルワンダと歩んできた15年

大虐殺後、ルワンダはゼロの状態に戻り、そこから政府と国民が力を合わせて国づくりを進めている。真美さんたちの「ワンラブ・プロジェクト」も、ほぼ同時に活動を始め、これまで6,000人を超える人たちに義肢や杖、車いすなどを提供してきた。

そんな足跡を真美さんは、「規模は違いますが、国が直面している問題は、自分たちの問題でもあり、政府が困っている時は、私たちも困っていました。ですから、常に自分たちがルワンダの国づくりに関わっているという感覚で今日まで来ています。大げさですが、それは自分たちがルワンダの歴史に関わっているんだという実感です」と振り返る。

そうした日々の中で、患者が義足を着けたときの笑顔や、それを履いて意気揚々と帰っていく後ろ姿を見るとき、「ああ、また明日からも頑張ろう」という気持ちになるという。

2000年からは、地方に住む障害者に義肢や装具を提供するため巡回診療を開始。07年には隣国ブルンジにも義肢製作所を開所し無償提供を開始した。

(左、中央)義肢製作は、まず障害者からの聞き取りからスタート。最初はみな固い表情だが次第にほぐれるという
(右)ピースボートで活動を紹介したり、地方で巡回診療を行ったり、義肢製作所で働く男性がパラリンピックに出場するなど、活動は広がりを見せている

文化の違う国で、人を雇い活動に奮闘する日々

真美さんたちの血と汗と涙の結晶である「ワンラブ・ランド」

それまで人を雇って動かすという経験のなかった真美さんにとって、時間や金銭の感覚、仕事に対する姿勢が日本と異なる人たちをマネジメントするのも大変な苦労だ。しかも彼らへの給料を毎月工面しなければならない。「人間関係とお金に苦労する日々は今も続いています」と真美さんは話す。

時間や仕事にルーズで解雇した従業員を「もう一度チャンスを与えよう」と、ガテラさんが連れ戻すことも多い。真美さんたちが無理だと諦めた赤ちゃんへの義足作りも「まずはトライしてみよう!」と。そんな前向きなガテラさんとの二人三脚。真美さんはガテラさんのこうした熱意について、「幼いころ障害者の施設で育ち、神父さんに非常によくしてもらった彼は、その神父さんから、感謝の気持ちを示したいと思ったら、私ではなく他人に同じようにしてあげなさいといつも言われたそうです」と紹介する。

真美さんは、将来的にルワンダ人たちが自分たちで資金を集め、ワンラブ・ランドを運営してほしいと願っている。そのためにも、人を育てていきたいと話す。

プロジェクト開始以来、多くの義肢装具士が育ってきている
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