2010年度受賞
樋口 強さん
「いのちの車」に家族と乗って、笑いをお供に走っていく
樋口さんは、生きることを「いのちの車」に例え、著書でも紹介している。私たちは皆、毎日自分の「いのちの車」を運転して、人生の目的地に向かって走り続けているのだと。そして、エンジンが弱ったときに後押ししてくれているのが、自分にとっては落語であり笑いだと。
抗がん剤治療で心身ともに弱っているときも、落語のテープを聞いている間は苦しい治療のことを忘れて、心の底から笑うことができたという。そんな「笑い」の素質を育んだのが、関西で生まれ育った樋口さんを、小学生のころから寄席に連れて行って「本物の芸」を見せてくれた父親だと話す。
故郷を遠く離れて進学した新潟の大学では、落語研究会の基盤作りに心血を注ぎ、就職後も社会人の落語大会に参加し優勝を経験した。大切にしてきた落語や笑いが、闘病とその後の人生でも力になってくれているのである。
「私には落語がありましたが、誰にも自分にしかない元気のもとがあるはずです。それに気づいてみてはいかがでしょう。きっと背中を後押ししてくれます」と樋口さんは話す。
5年生きられた恩返しから「いのちに感謝の独演会」がスタート
リハビリの成果もあり樋口さんは職場に復帰した。樋口さんと妻の加代子さんは、がん治癒の目安となる5年生きられたら、記念に落語の独演会を開こうと計画した。
そして2001年9月16日、記念すべき第1回の「いのちに感謝の独演会」が開催された。定員70名のところに150名も集まり、その3分の2はがんに出会った人と家族だった。落語のマクラで入院経験を小噺にすると多くの人が涙ぐみながら笑っていたという。自ら闘病を経験した樋口さんにしかできない、メッセージの込められた「いのちの落語」誕生の瞬間だ。「がんから生き延びたものとして、後に続く人たちに恩返しをする」という思いで、二回目からは深川江戸資料館にがんの仲間とその家族だけを招いて開催している。
独演会の最後は「決意の三本締め」で会場がひとつになる。一本目は「自分の今日のいのちと家族への感謝を込めて」、二本目は「仲間へのエールを込めて」、三本目は「明日への願いを込めて」。そして樋口さんが来年の開催日を発表し、再会に向けたそれぞれの新たな一年が始まる。
「二つ目のいのち」を、家族や全国の仲間と笑顔で生きる
ずっと大きな負担がかかってきた体のことを考え、樋口さんは自らの意思で会社を退職し、自身が“二つ目のいのち”と呼ぶ新たな人生を歩きはじめた。
樋口さんは、がんと出会ってからの自らの経験や困難に直面している方へのエールを著書に綴っている。また、いのちの大切さを落語と講演で伝える「いのちの落語講演会」を全国で開き、「笑いは最高の抗がん剤」「生きてるだけで金メダル」などのメッセージとともに希望と勇気を届けている。
今、樋口さんの大きな心の支えのひとつが、老後の貯えを放出し、国産無垢材だけで建てたこだわりの家だ。「がんに出会ってコンセプトがはっきりし、明るい家、住んで気持ちがいい家、そして肌触りのいい家にこだわって建てました。ここに住んでから体が喜んでいます」
そして体の支えが、愛犬とのリハビリである。「家内がプレゼントしてくれました。毎日1時間ほど散歩をし、外の世界に触れることと歩くことの、気持ちと体の両方のリハビリになっています」そう言って樋口さんは笑顔を見せる。