特別対談

山根 基世さん & 上中別府 チエさん

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家庭のなかで身に付けた人間として生きる力

チエ
めったにほめない父親に、一番ほめられたときのことも良く覚えています。6年生のとき朝礼で男の子と私の2人だけが「健康優良児」に選ばれて賞状とメダルをもらったのです。家に持って帰ったら、「チエはいつも頑張っているから」と、口数の少ない父親がとてもほめてくれて、家の真ん中に賞状を貼ってくれました。それでまた勇気づけられたし、私も勉強が好きで1日も学校を休まなかったけれど、戦争が激しくなって、女学校に行かせてほしいとは、どうしても言えなかったですね。
山根
今の私たちには、想像もできない時代だったんですね。小学校のときから一家のお母さん役をやって、よく勉強してよく働いて。現代のお父さんお母さんは、子どもたちに対して、とにかく勉強さえすればいいと考えて、家事を手伝わせたりしないでしょう。せっかく人間としての生きる力を学ぶ機会なのに、教えるはずの親が奪っている気がしますね。
チエ
私などは、家事でも何でも体で覚えてやっていましたね。それに、何をやるにしても「疲れた」と言ったこともなかった。実際、そんなに疲れたと思わなかったです。
山根
家族のなかで、いさかいなどはありませんでしたか。
チエ
なかったですね。父親が大きな存在で中心にいましたから。その父が寝た後、毎晩、姉たちとみんなで学校のことなどを話すのが本当に楽しかったですね。でも、父親もそうやって子どもたちが楽しく話しているのを時々は寝床で聞いていたんでしょうね。
山根
あの時代のいい家庭が目に浮かぶようです。そういうところで、お父さまや家族から学んだ人間関係のつくり方などが、今のチエさんの原点にあるのでしょうね。その後、24歳のときにご結婚されました。
チエ
主人も鹿児島の人でしたが、転勤で川崎市に来ました。娘が生まれた年に私は自分の母親を亡くしたので、主人の母親に孝行しました。自分たちが洗濯機や電気炊飯器を買ったときは、主人の実家にも送ってあげて、ずいぶん喜ばれました。今でも主人の実家とは仲が良くて、義理の弟は毎年秋に新米ができると送ってくれます。

相手の言葉に耳を傾ければきっと心を開いてくれる

山根
チエさんの家庭も互いに家族思いで、夜間中学に入るときには、息子さんが贈り物をくださったそうですね。
画像:球技大会など学校行事にも積極的に参加
チエ
電子辞書をプレゼントしてくれました。一番いいものを選んでくれたそうです。娘は就職してから毎月のお給料から少しずつ鹿児島にいる祖母に仕送りをしていました。主人が亡くなり落ち込んでいたときは、息子のお嫁さんも気を遣ってくれて、「お母さん、ちゃんと食べていないのではないか」と、息子にいろいろ食べ物を持たせてくれて、とてもうれしかったです。
山根
皆、子煩悩でやさしかったご主人や、日頃からチエさんがご家族や周りの方になさっていることを見ているからなんでしょう。定時制高校に入られてからも、同級生や野球部の仲間から慕われるのは、そうした気遣いがあるからじゃないでしょうか。
チエ
話はよく聞いてあげましたね。若い人たちには、まず何でも聞いてあげることが大事だと思います。最初はね、「今、何時?」って時間を聞くだけでもいい。そうすると、つながりができて、話をするようになり、だんだん友だちになれます。ずっと無口な子が、「チエさん、プリント見せてください」って話しかけてくれるようになって、それから先生も知らない家庭のことや、自分が好きでやっているダンスのことなんかも話してくれたりしました。
山根
その子は、話しかけてくれる人がいなかったんでしょうね。だから、先生に言わないことも、チエさんには話してくれたんですね。
チエ
体育の時間などでも、先生の言うことを聞かずに座ってしゃべっている男の子たちがいて、私が行って「こっちにおいでよ」と言ったら、「チエさんが言うならしょうがないな」って、来てくれたりしましたね。
画像:チームメートとの思い出の詰まったグラブは今も宝物です
山根
でも、チエさんだとみんなが素直に話せるのは、どうしてなんでしょう。ご自身はどう思いますか。
チエ
よく分かりませんが、校門をくぐると歳を忘れて高校生に戻っているから、年上という自覚はありませんが、上からものを言わなかったというのはあります。そして、誰にでも、何でも聞いてあげようという気持ちでいました。きっと相手もそういう態度は分かりますしね。「ああ、この人は自分の話を聞いてくれるんだ」と思ったら、相手も話してくれると思います。そういえば、「男の子と別れました」って、わざわざ教えに来てくれた子もいました(笑)。
山根
今、子どもたちの話を聞いてくれる大人がいないんですよ。本当にチエさんは、常に公平な価値観を持っていらして、大人も子どもも分け隔てなく誰の言葉にも耳を傾けています。そんなふうに、誰に対しても心を開いて明るく接することが、結局は自分を幸せにすることにつながるんですね。チエさんは、小さい頃から日々の暮らしのなかで勉強だけでなくしっかり労働もし、誠実なご両親から人間として生きる力を学び、そして前向きな姿勢を学ばれたんだと思います。これからも、私たちはその素晴らしい生き方から、たくさんのことを学んでいきたいと思います。

(敬称略)

画像:対談風景