特別対談

一人でも多くの人の自立と幸せを願いルワンダから広がる支援活動/シチズン・オブ・ザ・イヤー選考委員長 山根基世さん & 2012年度受賞者 ルダシングワ真美さん/シチズン・オブ・ザ・イヤー選考委員長の山根基世さんが、2012年度受賞者のルダシングワ真美さんを迎え、真美さんと夫のガテラさんの義肢提供活動への想いや、これまでの生き方などを伺いました。常に前向きに取り組むお二人の姿にあらためて感動を頂きました。
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  • 対談を終えて

国づくりの歴史の中で障害者支援に取り組む

祖国の再建を想う夫の情熱がいつしか自分の目標になりました/ルダシングワ 真美さん
山根
ご主人のガテラさんとは、OL生活を辞めて、スワヒリ語を学ぶために留学したアフリカのケニアで出会われたのですね。
真美
何度か会ううちに、まず人間的に惹かれていきました。彼はルワンダの情勢や、何故そういう状態になっているのかを話し、だから自分は祖国のために役立ちたいと、いつも熱く語っていました。ちょうど私自身が目標を見失っていた時期だったので、彼の情熱はとても輝いて見えました。
山根
今回の受賞活動である義肢の提供は、そんなガテラさんの祖国再建に対する想いから始まったといえますね。
真美
そうですね。加えて、ガテラの中では、子供のころ育った障害者施設の神父さんから、「自分への感謝の気持ちは、他の人に何かしてあげることで示しなさい」といつも言われた少年の日の想いも、現在に続いているのだと思います。
山根
真美さん自身も、それまでの仕事からまったく違う世界に飛び込んで自分自身の生き方を見つけたというのは、本当に勇気の要ることだったと思います。その二人が、ルワンダで15年頑張ってこられました。
真美
1994年の虐殺後、ルワンダはすべてゼロから始めなければなりませんでした。でも、政府も国民も国の再建に努力している時、私たちも障害者のための義肢提供という形で関われたことは非常に良かったと思います。もちろん、とても大変なことなのですが、辛いことがあればみんなで分け合い、そうした中で努力が形になっていくのを見る喜びもありました。
山根
真美さんがルワンダに入られた時は、どんな状況だったのですか。
真美
街はやっと機能し始めていましたが、私たちが住んだビルの最上階は壁もなく吹きさらしで、最初のころは電気も水もない。電気の代わりはロウソクで、水はポリタンクに入れて最上階まで運んでいました。大変でしたが、なんだか楽しかったですね。
二人の力を合わせ支援が必要な人たちのためにさらによい活動を/山根 基世さん/NHKアナウンサーとして「新日曜美術館」「映像の世紀」「ラジオ深夜便」など数多くの番組を担当。NHK初の女性アナウンス室長に就任。NHK退職後「ことばの杜」を設立
山根
何もないところから、少しずつ復興していく喜びでしょうか。
真美
建物が建て直され、畑が耕され、国が再建を進めるなかで、「自分たちも一緒にやっているんだぞ」という快感がありました。その発展の歴史の一部になれていることがうれしかったです。
山根
ガテラさんの情熱が、真美さん自身の想いにもなっている気がします。
真美
そうかもしれませんね。性格的には正反対で、彼はいつもアクセル全開で、私は常にブレーキに足が掛かっていないと不安なんです。ただ、彼のポジティブさは学ぶことが多いですね。去年、壊疽(えそ)で足を切断した赤ちゃんに義足を作ってほしいというお母さんが来たのですが、経験もないし断ろうとしたのです。その時、ガテラが来て「作るぞ」と言って、何日か掛けて作って履かせてみたら、すんなり慣れちゃったんです。そんなふうに、彼の言う通りにまずはやってみると、うまくいくことは多いですね。これからも一緒に生きていくなかで、いろいろ教えてほしいと思いますし、私からも彼に何か教えることができればと思っています。