CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2021年度受賞

谷岡 哲次さん

声に出して「パパ、ママ」と呼びたい子どもたちのために

声に出して
「パパ、ママ」と呼びたい
子どもたちのために

幸せな家族を突然襲った難病「レット症候群」

紗帆(さほ)に「パパ、ママ」と呼んでほしい。いや、それ以上に、紗帆も自分たちを「パパ!ママ!」と呼びたいはず。

大阪府に住む谷岡哲次さん夫妻に、待望の女の子が生まれたのは2008年1月。体重はくしくも3歳上の兄と同じ2,532グラムで、「紗帆」と名付けられた。物静かでよく眠る赤ちゃんだった紗帆さんに異変が見られるようになったのは1歳になるころ。それまでできていたハイハイが次第にできなくなり、お座りしても倒れることが増え、手を揉んだり口に持っていく動作を繰り返し、歯ぎしりが多くなった。

病院で検査をしても原因が分からず、市の健診でも運動機能の遅れを指摘され、不安が募っていた谷岡さんは、ある日パソコンの検索で一つのページと出合う。「手を口にもっていく」「歯ぎしり」と入力してヒットしたページには、まるで娘のことかと思うほど似た状況が書かれ、病名は「レット症候群」となっていた。病名で検索すると、そこには「進行性の神経疾患」「不治の難病」「突然死」などの言葉が並び、谷岡さんは目の前が真っ暗になった。そして、生後6カ月から1年6カ月頃の主に女の子に発症し、発症率は1万から1万5千人に1人。運動機能の退行や言葉を発せなくなる難病で、治療法が確立されていないことが分かった。

1歳のころ、おもちゃのピアノで遊ぶ紗帆さん

患者側から研究者を支援するためNPOの設立へ

しかし、以前から診療を受けている大学病院で「レット症候群ではないでしょうか」と尋ねるも、断定するのはまだ早いという返事。それからは、リハビリから針治療、漢方、マッサージ、民間治療など、大阪はもとより東京にも夫婦交代で毎週通い、約1年にわたりありとあらゆる治療を試みた。

そうした中、レット症候群の研究者の存在を知った谷岡さんは、2010年8月30日、そのうちの一人の医師に会いに九州にある大学病院に向かった。そこで初めて、紗帆さんはレット症候群であると診断されたのである。「心のどこかで覚悟はできていたので、不思議と心がスッキリしたのを覚えています」と谷岡さん。同時に、「親として、何が何でもこの難病に立ち向かいたい」という思いがこみ上げてきたという。矢継ぎ早に質問する谷岡さんに、医師は、研究がまだ基礎段階で膨大な費用がかかること、海外では患者団体が募金を集めて研究支援をしていることなどを話してくれた。

帰りの新幹線、谷岡さんの頭の中では一つの想いが大きく膨らんでいた。「NPO法人を設立し、患者側から研究者を支援してはどうか」という想いだ。その時のことを谷岡さんは、「自分の今までの経験から、時間が経つにつれその熱が次第に冷めていくのが怖かった。半ば強引にでも一気に進めなければダメだと思った」と振り返る。

リハビリを受ける紗帆さん

患者と研究者をつなぐ「レット症候群支援機構」

患者側から何ができるかを考えたとき、「まず自分たちが何を思い、何を望んでいるかをアピールしなければ、研究者にも社会にも届かない」という谷岡さん。九州から帰るとすぐにNPO法人設立に向け奔走。多くの人の協力を得ながら、翌2011年4月、「レット症候群の完治」を目標に掲げ、NPO法人「レット症候群支援機構」を設立したのである。

紗帆さんがレット症候群と知ったとき、自分自身の命と引き換えに、娘の病気の治癒を毎日神様に祈ったという谷岡さん。「それが叶わないなら、命をかけてレット症候群の子どもたちを守る活動をしよう」という決意のもと、これまで日本ではほとんど前例のない、患者側が医師や研究者と直接つながり、研究費の支援や情報提供をする活動をスタートさせた。

患者家族としてできることを考え、講演・研究者への支援活動を開始
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