
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。折しも急性すい炎の治療中だった濱田龍郎さんは、自分が中心となり熊本県益城町で設立した「ボランティア仲間九州ラーメン党」のメンバーに、阪神行きの準備を依頼した。そして迎えた出発の日、誰からも見送りだと思われていた濱田さんは、走り出そうとするマイクロバスに飛び乗り、22 人の仲間と共に熊本から被災地へと向かったのである。
鍋やコンロなどの調理器具とラーメンの食材を積んだバスは一路被災地を目指し、神戸に着くと3日間で約1000杯のラーメンを提供。その後も阪神・淡路大震災の被災地を3 回訪れ、3年間で1 万杯のラーメンを振る舞った。