CITIZEN OF THE YEAR 社会に感動を与える人々を応援します。

受賞者一覧

2009年度受賞

吉島 美樹子さん

「がん患者の苦しみに寄り添いたい」全国に広がるタオル帽子づくりの輪

「がん患者の苦しみに寄り添いたい」
全国に広がる
タオル帽子づくりの輪

取材・文:清丸恵三郎

女性としての辛い経験が原動力に

どうしてこの人はこんなにパワフルなんだろうか。誰もが、そう思うらしい。

「岩手ホスピスの会」の事務局長をつとめ、同会が推進しているがん患者にタオル製の帽子を贈る運動の中心になっている吉島美樹子さんのことである。

東日本大震災から2ヶ月ほどあとの11年5月14日、吉島さんは十数人の「タオル帽子倶楽部」の仲間と盛岡市内の作業場にいた。今年50歳。本職は保育園の調理師で、青森県八戸市に住む。3人の息子さんの母親で、ご主人は今度の震災で勤務先が流され、目下失業中だとか。だが明るい。出身は岩手県の県北、洋野町。30歳の時、リンパ系組織のがんである悪性リンパ腫にかかり、半年余の闘病生活の間、抗がん剤治療により頭髪が抜け落ちた。女性としての辛い経験が、彼女をこの運動に駆り立てる。

作業台の上には、色とりどりのタオルでできた帽子が置かれている。数千個の帽子を数え、仕分けし、袋詰めし、県内はもちろん全国の病院などで待ちかねている患者へ送付する。彼女の活動はタオル帽子倶楽部にとどまらない。

タオル帽子講習会の模様

必要とする人がいるのなら、被災地へも

忙しく立ち働く仲間の間を動き回っていた彼女が瞬間立ち止まり、声を張り上げた。

「明日、(震災で壊滅状態になった)陸前高田へ行って、患者さんにタオル帽子を届けます。ご一緒できる方、是非来てください。被災者の中には、街中がとても埃っぽいのでこんな帽子があると大変重宝しますと言う方もおられます。その人たちにも配りたい。また避難所には、まだまだ必要なものが届いていません。お宅で余っているもの、調味料でも生卵でもいいです、お持ち下さい。なぜ私たちがそうした活動をするのかという方もおられるかもしれません。だけど地元の人間が救援活動をやらないで誰がやるんでしょう。それに私は、避難されている方が余裕を取り戻された時、近くの病院にタオル帽子を贈られるようになると思うんです」

すでに、この時点で吉島さんの陸前高田行きは5回を数える。そのうえ週1回は必ず盛岡にやってきて、ホスピスの会の会合やセミナー、イベント、あるいはタオル帽子配布活動に出席、事務局長としての役割を果たす。ともかく超多忙。よく体が続くものだと心配になるほどだ。

被災地でタオル帽子を配布する岩手ホスピスの会の方々

ホスピスのない岩手に、末期がん患者のための施設を

吉島さんががん患者にタオル帽子を贈る運動を始めたのは、自らのがん体験と大きく関わっている。だがまっすぐ一直線でつながったわけではない。

吉島さんは闘病後、辛かった体験を語り合い、再発の恐怖を分かち合う仲間を求めて、患者や家族が集う会に参加した。活動の中で、岩手は全国でも数少ないホスピス施設のない県だという話が出てきた。ホスピスとは、終末期を迎えたがん患者と家族ができるだけ苦しむことなく人間らしい生を全うできるようケアし、支援しようとの考えであり、この考えを元に治療を行なう施設でもある。最近では緩和ケア、緩和ケア病棟と呼ばれるが、その考え方に基づく医療施設を造るよう行政に働きかけようと、吉島さんたちは考えたのだ。

02年「岩手にホスピス設置を願う会」が設置され、さらに08年2月、岩手ホスピスの会(代表・川守田裕司さん)が発展的に発足する。主たる活動は、緩和ケアの推進や啓蒙と患者のサポート。主眼は前者で、今では県内には5ヶ所の緩和ケア病棟が設置されるに至っている。後者ももちろん重視している。代表的な活動がタオル帽子の配布である。

第一回北東北がん看護フォーラムでの講演
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